日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















全ての生き物に生きる権利があります





 

ゴキブリにもアリにも

 

堂々と生きる権利があります

 

私たちは

 

その権利を奪うことはできません

 

他の権利を奪えば

 

自分にも権利がなくなってしまいます

 

しかし

 

私たちは、石や土は食べられません

 

他の生命を奪わなければ

 

生きていられないのです

 

生きるということは

 

他の命を奪っていることです

 

生きるということは

 

それほど立派なものだと思わないほうがいい

 

むしろ

 

恐ろしい行為だと気づくことです



鳥は足跡を空に残さない





 

悟った人は

 

全てのものが無常であることを

 

実感して生活します

 

だから

 

何も貯めることはありません

 

心に何の不安もありません

 

食事さえも

 

体を維持するために必要な量だけに限ります

 

鳥が空に足跡を残さないように

 

悟った人の行方にも

 

足跡はないのです



仏教は、得る道ではなく、捨てる道を説きます





 

仏教は

 

「得る道」

 

ではなく

 

「捨てる道」

 

を教えます

 

捨てる生き方を歩もうとすると

 

身も心も軽くなって

 

楽な気持ちがずっと続きます

 

「得る道」

 

は、依存を増幅する道です

 

不自由な道です

 

「捨てる道」は、

 

自由を獲得する道です



本当に必要であれば手に入ります





 

観念的に、

 

「欲しい」

 

というのではなく、自分に本当に必要であれば

 

そのものは簡単に手に入るのです

 

必要なものは、

 

自分で獲得する能力が備わっているからです

 

必要でないものを

 

「欲しい」

 

と、頑張るから

 

うまくいかないのです

 

具体的に必要であれば

 

しっかりと頑張れるのです

 

あたふたしなくていいのです





今、死んでも大丈夫ですか?





 

人は、必ず死にます

 

そして、いつ死ぬのかわかりません

 

今日かもしれません

 

明日かもしれません

 

「今日、死んでも大丈夫か」

 

と、いつも念じて暮らしていると

 

平和な生き方ができるようになります。

 

「今死ぬかもしれない」

 

と思うと、

 

ものを集めたり

 

人と争う気持ちはなくなります





ものを持たない生き方が理想





 

ものを持たない生き方が素晴らしいのです

 

何もないことを喜べるのが、理想的な人格なのです

 

ブッダが、比丘たちに言いました

 

「鳥たちはどこに行くにしても、自分の翼だけを持って行く

 

何も荷物はない

 

しかし、どこにいても完璧である

 

だから、比丘たちも三衣一鉢だけでいいのだよ」と。

 

何も持たない生き方は、

 

どこにいても自由で

 

何もかけるところがないのです



ものを欲しがる人は、人格ができていない人です





 

「あれが欲しい、これが欲しい」

 

「あれが足りない、これが足りない」

 

という人は

 

他に依存した生き方になっているのです

 

必要以上にものがたくさんあるのは

 

多くを依存して、人格ができていないのです

 

高価なものを置きたがるのは、

 

依存が強くて、気が弱いのです。

 

そういう人は

 

ちょっとしたことで

 

動揺し、悩んだり苦しんだりします

 

精神が脆くて危ないのです





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