日蓮仏法 変毒為薬
変毒為薬(へんどくいやく)という言葉があります。
文字通り、「毒を変じて薬と為す」
毒を取り除くのではなく、毒そのものの成分が変化して薬と
同じ働きとなってしまうというものです。
本当は、罪障消滅というのも罪障そのものを消滅する
までもなくその罪障になんらか左右されない力強い自分自身に
変わることができる
それが仏法の変毒為薬というものです。
この、変毒為薬の考え方は、凡夫がその姿のままで成仏できる
という「即身成仏」の法門でもあります。
何かに変わることではなくて、その身そのままでいいと、
つまり、自分自身が宿業を背負っていてもその宿業を
どういう風に転ずることができるのか、その宿業と戦う
自分自身の姿そのものが妙法の証明になっていきます。
つまり、宿業を消すことが目的ではなくて、宿業と戦える
自分になるということが信心の目的となるわけです。
どんなことがあっても前に向かって戦いを続けていくという
その姿そのものが偉大な仏法の証明となれる
そう考えると、何か特別なものになろうとかそういう必要は
全然ないということになります。
大事なことは、どんなことがあっても、前に向かっているのか、
昨日より今日、今日より明日というように前進をしているのかという、
そのことが一番大事になってくると思います。