日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















立正安国論(りっしょうあんこくろん)現代語訳

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旅人が来て嘆いていう。

近い正嘉元年(1257)のころから今年文応元年(1260)にいたる四箇年の間に、大地震や大風などの天変地異が続き、飢饉が起こり、疫病が流行して、災難が天下に満ち、広く地上にはびこっています。そのために牛や馬はいたるところで死んでおり、骸骨は路上に散乱して目もあてられず、すでに大半の人びとが死に絶えて、この悲惨な状態を悲しまない者は一人もおりません。

そこで、このような状況から逃れようとして、ある者は「苦悩と罪業を滅ぼす利剣は弥陀の名号を称えることである」という中国浄土教の善導和尚の般舟讃(はんじゆさん)の文を信じて、一切の行を捨ててただひたすら西方浄土の教主阿弥陀仏の名ばかりを称え、ある者は「わが名号を一たび聞けばもろもろの病はすべて除かれ身も心も安楽となる」という東方薬師如来誓願を信じて、その経文ばかりを読誦しております。またある者は法華経薬王品の「この経はこの世界の人の病の良薬であるから、病める人がこの経を聞けば、病は消滅し、不老不死となろう」という言葉を仰いで、法華経を真実の妙文と崇め、ある者は「般若経を講讃すれば七難は消えて七福が生ずるであろう」という仁王般若経の句を信じて、百人の僧がこの経を講ずるという仁王会(にんのうえ)の儀式を営んでおります

またある者は秘密真言の教えによって五つの瓶に水を注いで災難を除く祈祷を行ない、ある者は坐禅をして精神の集中をはかり、すべてを空と観じて苦悩から逃れようとしております。またある者は七鬼神の名を書いて門ごとに貼ったり、ある者は五大力菩薩の形を描いて家ごとにかけたり、ある者は天地の神々を拝んで四角四堺の祭という災難を除く祈りを四方の神に捧げたり、また為政者は民衆の窮状を哀れんで、いろいろだ徳政を行なっております。

しかしながら、いたずらに心を砕くだけで何の効果もなく、飢饉や疫病はますます激しくなるばかりです。目につくものは家を失いさまよい歩く者と死者ばかりであり、その死骸は積みあげられて物見台のようであり、また水に並べられて橋のようであります。

思いめぐらしてみると、天には日月が昼夜を照らし、木星・火星・金星・水星・土星の五つの惑星は玉を連ねたように規則正しく運行し、地上では仏法僧の三宝がいまだ滅びることなく世に尊ばれ、八幡大菩薩の百代の天皇を守護するという誓いの通りに帝王はその座にあって変わることはありません。

しかし、このうち続く天変地異によって、どうしてこの世はこんなに早く衰え、仏法も王法もその威力を失い、すたれてしまったのでしょうか。これはいったいどのようた理由によって生じたのでしょうか、またどのような誤りが原因となっているのでしょうか。

 

主人が答えていう。

自分もこのことを心配して、その災難の原因について深く胸中に思い悩んでいましたが、ひとり心を痛めるだけで誰にも話す機会がありませんでした。さいわい貴殿が客としてお見えになり、同じように嘆かれるので、しばらくこの問題について自分の考えているところをお話し申しあげ、お互いによく語り合おうではありませんか。

そもそも、世俗の恩愛を断って出家し、仏道に入るのは、仏の教えによって悟りをひらき仏になりたいからであります。しかし、いま現実の世の中をみますと、神への祈りもかなわず、仏の威力も現われず、災難はいよいよ増すばかりで、何の効験もないのを見ては、未来の成仏という大事はとてもおぼつかないと疑われてならないのです。

そこで私はただ天を仰いでは出家の目的が失われたことを恨みに思い、地に伏しては深い憂いと絶望に沈んでおります。私ははなはだ視野の狭い見方しかできませんが、少しく経文をひもといて研究してみますと、この災難の原因は、世の中のすべての人びとが正しい教えに背いて悪法邪法に帰依したため、国を護る諸天善神はこの国を捨てて天上に去り、正法を広める聖人も去って還ってこないから、その隙に乗じて悪魔や悪鬼が押しよせてきて、次々に災難が起こるのであるということがわかりました。まことにこのことは重大なことであり、言わずにはおられぬことであります。恐れなげればならないことであります。

客は尋ねていう。

近年のうち続く天下の災害や国じゅうの災難については、ただ自分一人だけが嘆いているのではなく、すべての人びとが嘆き悲しんでいるのです。いま貴僧を尋ね、尊いお言葉を承ったところ、善神や聖人がこの国を捨てて去ったために、災難が連続して起こるということですが、それはいったい、どのお経に説かれているのでしょうか?。その証拠をお聞きしたいと思います。

主人は答えていう。

それを証明する経文は非常に多く、その証拠は広く一切経にわたって見られますが、以下に少しくその明らかな文を引いて示しましょう。

金光明最勝王経四天王護国品第十二に、あるとき持国・増長・広目・毘沙門の四天王が仏に申しあげていうのに、「ある国王があって、その国にはこの経が伝わっているけれども、少しも広まっていない。その国王も人民も、この経を捨てて顧みようともせず、聴こうともしない。ましてこれに供養したり、尊重したり、讃歎しようともしない。この経を伝え広めようとする仏の弟子たちを見ても、尊んだり供養しようともしない。そこでわれら四天王や、われらの従者や多くの天の神々は、この尊くありがたい妙法の教えを聞くことができないので、われらの身を養う正法の甘露の法味を受けることができず、正法の流れに浴することもできなくなり、そのためわれらの権威や勢力もなくなってしまう。そうすると、この国には地獄(瞋り)、餓鬼(貧ぼり)、畜生(痴か)、修羅(闘い)の四悪趣の悪い精神ばかりが増して、人間界や天上界の善心は減り衰え、すべての人びとはみな生死の河、すなわち無明と苦悩の世界に落ちて、涅槃の路、すなわち悟りへの路に背くことになる。

世尊よ、われら四天王やその従者や夜叉などは、このような国王や人民の不信のありさまを見ては、その国を捨て去って、これを守護しようとする心を起こさなくなる。ただわれらだけがこの不信の国王を見捨てるだけではなく、その国を守護する多くの諸天善神がいたとしても、みなすべてその国を捨て去ってしまうであろう。

すでにわれら護国の諸天や善神が、みなその国を捨て去ってしまえば、その国にはいろいろの災難が起こり、国王はその位を失うであろう。そして、すべての人民は道徳心や宗教心などの善心を失い、ただ縛ったり、殺しあったり、諍ったり、おたがいにそしったり、上にへつらい、罪のない者を罪に陥れるようなことをするであろう。疫病は流行し、彗星がしばしば出て、太陽が一時に二つ現われたり、日蝕や月蝕も一定せず、黒白二つの虹が出て不吉の相を表わし、星が流れたり、地震が起きて井戸の中から異様な声が聞こえたり、季節はずれの暴風雨が襲い、五穀は実らず、常に飢饉が続くなど、天地に不吉な現象が現われるでおろう。さらに外国から多くの賊が攻めてきて国内を侵略し、人民は多くの苦しみを受けて、国じゅうどこにも安心して楽しく住む所はなくなるであろう」と。〈以上、経文〉

大集経法滅尽品には次のように説かれています。「仏法が滅びようとする時は、僧はみな鬚(ひげ)や頭髪や爪を伸ばして、僧としての行儀を失い、戒律も乱れてしまうであろう。その時、虚空に大きな声が鳴りひびいて、大地を震わせ、あらゆるものは水車のように回り動くであろう。城壁は崩れ落ち、人家はことごとく壊れ、樹木の根も枝も葉も花びらも果実も、それらのもっている薬味も尽きはててしまうであろう。ただ、ふたたび迷いの世界に戻ることのない悟りを得た聖者の住むという浄居天を除いては、この世界のあらゆる人びとを養う七味や三精気は残らず消え失せてしまうであろう。また迷いを断ち、悟りを得るための正しい教えを述べた多くの書物もすべて消滅するであろう。また、大地に生ずる植物の花や果実も少なくなり、その味もまずくなるであろう。すべての井戸も泉も池も涸れはてて、土地は塩気を含んだ不毛の地となり、ひび割れて丘や澗(たに)となるであろう。すべての山はみな燃えあがり、天の竜は一滴の雨も降らさないであろう。穀物の苗はみな枯れ、その他の作物もすべて枯れはてて、雑草すら生えないであろう。土が降って昼でも暗く、太陽も力もその明るさを失ってしまうであろう。どこもかしこも日照りに悩まされるなど、しばしばいろいろの凶兆が現われるであろう。人びとの間には十種の悪業、ことに貧欲・瞋恚・愚痴の三毒がますます倍増して、人びとは父母に対してさえ、臆病な鹿が人に追われて自分だけ助かろうとして仲間をかまわなくなるように、不孝の罪をおかすようになる。人びとの数も、寿命も、体力も、勢威も、快楽も減って、人間や天上の楽しみが遠ざかって、みなことごとく地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちるであろう。このような悪王と悪僧とが、わが正法を毀り壊って、人間や天上の道を傷つけるであろう。そうなれば衆生を愍れみ救おうとする諸天善神も、この濁り乱れた悪国を捨てて、みなことごとく他の国へ去ってしまうであろう」と。〈以上、経文〉

仁王経の護国品には次のように説かれています。「国に正法が行なわれなくなって国土の乱れる時は、すべての善神が去って、悪魔が力を得て、万民を悩ます。外国から賊が攻め寄せて国をおびやかし、そのために命を失う者が多く、君主、太子、王子、百官の間に争いが起こり、天地の間に怪しい現象が現われ、二十八の星座の位置や、星や月や日の運行に狂いが生じ、内乱が各地で起こるであろう」と。

また仁王経の受持品には次のように説かれています。「われ今、仏の眼をもって三世を見るのに、すべての国王は、みな過去の世に五百の仏に仕えた功徳によって、現在に帝王国主となることができたのである。さらにこの功徳によって、すべての聖者がその王の国土に生まれてきて、その国のために大いなる利益を与えてくれるであろう。しかし、王の積んだ功徳が尽きる時には、すべての聖者はことごとく国を捨て去るであろう。もしすべての聖者が去ってしまうならば、その時その国には必ず七つの難が起こるであろう」と。(以上、経文)

薬師経には次のように説かれています。「国王や王族などの不信によって国に災難が起こる時は、それは国民の間に疫病が流行する難、外国からの侵略、国内の戦乱、星の運行の変異、日蝕や月蝕で太陽や月の光が失われること、時ならぬ風雨、旱魃の七つの難があるであろう」と。〈以上、経文〉

仁王経の受持品には次のように説かれています。「大王(波斯匿王)よ、私(釈尊)がいま教化する範囲には百億の世界がある。各世界にはそれぞれ太陽があり、月があり、須弥山があり、その四方には四つの洲がある。そのうち南方の閻浮提州には十六の大国があり、五百の中国、一万の小国があるが、これらの無数の国には七つの恐ろしい難がある。

すべての国王はこの難を恐れている。その恐るべき七つの難とは、

日月の運行が狂って寒暑の時節が逆になり、赤い太陽が出たり、黒い太陽が出たり、二つ三つ四つ五つと太陽が並んで出たり、あるいは蝕けて太陽に光がなくなったり、あるいは一重、二重、三重、四重、五重と太陽が重なって現われたりするのが第一の難である。

二十八の星座の運行が狂ったり、金星や彗星が現われたり、輸星・鬼星・火星・水星・風星.・杏星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星など、さまざまな星がいろいろ変わった現われ方をするのが第二の難である。

大火災が国じゅうを焼き尽くし、万民がことごとく焼死したり、あるいは鬼の起こす火、竜の降らす火、落雷のために起こる火、神仙の起こす火、人災による火、樹から生ずる火、賊の放つ火などが数々起こるのが第三の難である。

大水が出て万民を溺れさせたり、気候が狂って冬に雨が降り、夏に雪が降り、冬に雷が落ちたり、六月の暑中に氷や霜や雹が降ったり、赤い水、黒い水、青い水が降ったり、土の山や石の山が降ってきたり、砂や礫や石が降ったり、河が逆流したり、山を浮かべ、石が流れたりするような水の異変が生じるのが第四の難である。

大風が吹いて万民を殺し、国じゅうの山河草木が一時に滅びたり、時ならぬ大風や、黒い風、赤い風、青い風、暴風、つむじ風、火のように熱い風、雨の冷たい風などが吹き荒れるのが第五の難である。

国に大旱魃が続いて、熱気が地下にまで浸透して、あらゆる草は枯れ、五穀も実らず、土地は焼けて、そのために万民は死に絶えてしまうのが第六の難である。

四方から賊が攻めてきて国土を侵略し、国内にも戦乱が起こり、大火や大水、暴風に乗ずる賊や、鬼のような賊が横行して、人心は極度に荒れすさんで、ついに世界中に大戦乱が起こるのが第七の難である」と。〈以上、経文〉

大集経護法品には次のように説かれています。「限りない過去の世に、布施や持戒や智恵を修行して、その功徳によって、現世に国王と生まれても、仏法が滅びようとするのを見て、これを見捨てて護ろうとしないならば、過去世に積んだ無量の功徳もことごとくみな消滅して、その国には三つの不吉なことが起こるでおろう。一に飢饉、二に戦乱、三に疫病である。

すべての善神はその国を捨て、王の教令は行なわれず、つねに隣国から侵略されるであろう。大火や悪風、洪水が重なって、人民は溺れ死に、王の一族から謀叛が起こるであろう。王はやがて重病に罹り、死後は地獄に堕ちるであろう。王だけでなく、王妃も太子も大臣も将軍も、その他さまざまな官職にある者も、みな同じくこの苦しみを受けるであろう」と。(以上、経文)

右にあげた金光明最勝王経、大集経、仁王経、薬師経の四経の文は、みな災難の原因が正法を護らないことにあると説いていることは明らかであります。すべての人は、誰がこれを疑うでしょうか、疑う者は一人もいないでしょう。

ところが道理に暗い人は、あさはかにも邪説を信じて、これら四経の教えをわきまえないのです。そのため世の中の人びとは、多くの仏や経を捨てて、正法を護ろうとする志がありません。そこで国を護る善神や正法を伝える聖人が国を捨て去ってしまい、その隙に乗じて悪鬼や邪説を説く人びとがやってきて災難を起こすのであります。

客は大いに怒り、顔色をかえていう。

たとえば、中国では後漢の明帝が金色に輝く尊い姿の人の夢を見て、仏教の渡来を知り、使者を遣わして仏教を求めさせ中国に伝えようとしました。そしてたまたま白馬に経典や仏像をのせて中国に向かう摩騰迦・竺法蘭の二人の高僧に出会い、これを迎えて白馬寺を建て、中国仏教の拠点としたのです。

日本では聖徳太子が仏教に反対する物部守屋の反逆を押さえて、その記念として四天王寺を建て、日本仏教興隆の基礎としました。それ以来、上は天皇から下は一般庶民にいたるまで、すべての人びとが仏像を崇め、経巻を尊ぶようになったのです。

それゆえ、比叡山、奈良、園城寺、東寺をはじめ、さらには日本全国いたる所に多くの寺院が建てられ、仏像と経巻は星のように集められました。舎利弗のように智恵を磨いて仏の真実の教えを学ぶ僧もあれば、迦葉のように戒律を重んずる僧もおります。

このように日本の仏教はさかんであるのに、いったい誰が仏教を軽んじ、仏法僧の三宝の跡を絶やしたといわれるのでしょうか。その証拠があるならば、くわしくお聞きしたいものです。

主人は客を静かに諭していう。

たしかに貴殿の言われるように、寺塔は甍をつらね、経蔵も立派であります。僧侶もたくさんいて、信者の帰依も変わることなくさかんであります。しかし、それはただ表面的なことであって、その内実は、僧侶は諂(へつら)い邪(よこしま)で、人を惑わし、国王も万民も愚かで、その正邪を見分けることができないのです。

仁王経の嘱累品には、次のように説かれています。「多くの悪僧たちがいて、自己の名誉や利益を得ようとして、国王や太子や王子などの権力者に近づいて、正法を破り、国を滅ぼすような自分勝手な間違った教えを説くであろう。その王たちは正邪を見分けることができず、その言葉を信じ、正法を護れという仏の戒めに背いて、勝手な法律や制度を作るであろう。これが仏法を破り、国を滅ぼす原因となるのである」と。〈以上、経文〉

守護経巻十の阿闍世王受記品には、「大王よ、この悪僧は戒律を破り悪業を行じて、すべての高貴の家を汚し、国王や大臣や役人たちに向かって、正法を行ずる僧を誹謗し自分勝手に悪事を言いたてるであろう。(中略)寺内だけでなく国じゅうのすべての悪事をみな正法を行ずる僧のためであると、国王や大臣や役人たちを欺き、ついにはその正法を行ずる僧を国内から追放するであろう。そして破戒の悪僧は自由勝手に行動し、国王や大臣や役人たちと親しくなるであろう」と。

また「季節はずれの風雨や日でりや長雨が続いて飢饉があいつぎ、また敵に攻められ、疫病は流行するなど、災難は数知れず起こるであろう」と。

また「釈迦牟尼如来のすべての教法は、一切の天魔や外道や悪人や五神通を得た神仙などのような仏教者以外からは少しも破られることはない。かえって僧とは名はかりの多くの悪僧たちが、仏法を内部から破壊し滅ぼしてしまうであろう。ちょうど須弥山世界は、たとえ三千大千世界の草木をことごとく薪として長い間燃やしつづけても、少しも損ずることはできないけれども、もし世界破滅の時が来て、劫火が内から燃え出る時には、たちまちのうちに灰も残さぬように焼き尽くしてしまうのと同じである」と説かれています。

また金光明最勝王経の王法正論品には、次のように説かれています。「非法を行なう者を尊敬し、正法を弘める人を苦しめ処罰する。すると悪人を尊敬し善人を処罰したことにより、星宿の運行や風雨の時節が狂うであろう」と。

また同品に「三十三天の天人たちが、みな非常に怒っているから、国の政治は乱れ、諂いや偽りばかりが世間にあふれ、悪風がしきりに起こり、季節はずれの暴風雨が襲うであろう」と説かれています。

また、同品には「もろもろの天人たちは次のように言っている。もしこの王が法に背いた行ないをなし、悪人と親しむ時、その王位は安泰でなくなり、諸天はみな大いに怒り恨むであろう。諸天が怒ったことによりその国は滅びるであろう。帝釈天もその国を護ろうとせず、諸天もみな、その国を捨て去ってしまうから、その国は滅びるであろう。国王は自らの身に苦しみを受け、父母、妻子、兄弟、姉妹も、愛する者と離別する苦しみにあい、(中略)ついにはその身を亡ぼすであろう。そして怪しい流星が落ちたり、二つの太陽が同時に出たり、他国から賊が攻めよせてきて、人民が悲惨な目にあうであろう」と説かれています。

大集経の法滅尽品には次のように説かれています。「もし、もろもろの国王や王族があって、法に背いたもろもろの行ないをなし、世尊の声聞の弟子たちを悩まし、毀り罵しり、刀や杖で打ち叩き、衣服その他種々の資具を奪い取り、あるいは仏弟子に布施を捧げる者を迫害するなどのことをするならば、われら諸天善神たちは直ちにその王のために他方の怨賊を起こさしめ、また自分の国内にも内乱、疫病、飢饉、季節はずれの風雨、争い、訴訟などを起こさせるであろう。そしてその王の国は滅びるであろう」と。

涅槃経第九巻の如来性品には次のように説かれています。「善男子よ、如来の正法が滅び尽きようとする時、如来の深くすぐれた教えを知らない多くの悪僧たちが現われるであろう。彼らはちょうど愚かな盗人が真の宝物を捨てて草や木などを担いでいくようなものである。彼らは如来の深くすぐれた教えを理解できないから、怠けて努力しようとしない。如来滅後の未来濁悪の世はまことに恐るべきものである。このもろもろの悪僧たちは、この経をかすめとり、多くの部分に寸断して、正法の本来の色や香りや味わいをなくしてしまうであろう。このもろもろの悪人は、たとえこの経を読んだとしても、如来の深くすぐれた教えの重要な意義を理解できないで、かえって世間の美しく飾った文章や、無意味な言葉を付け加えるであろう。そして前の文を抜き出して後に着けたり、後の文を抜き出して前に着けたり、前後にあるべき文を中間に置いたり、中間にあるべき文章を前後に置いたりするであろう。このようなもろもろの悪僧は、仏弟子ではなくて悪魔の仲間であると知るべきである」と。

涅槃経の高貴徳王品には、次のように説かれています。「菩薩たちよ、悪象などに対して少しも恐れる必要はないけれども、悪師に対しては畏れなければならない。なぜならば、悪象に踏み殺されても地獄・餓鬼・畜生の三つの悪所に落ちることはないけれども、悪師のために善心を失わされれば必ず三悪道に落ちるからである」と。〈以上、経文〉

法華経の勧持品には次のように説かれています。「さまざまだ無智の人があって悪口を言ったり、罵ったり、刀や杖で打ったりするであろう。自分たちはこれら全てを耐え忍んで法華経を弘めるであろう。悪世の僧たちは、よこしまな智恵とこびへつらいの心をもち、まだ覚りを得ないのに覚ったと思い、たかぶりの心で満たされるであろう。彼らはまた人里はなれた静かな場所で、粗末な袈裟を身にまとい、自分は真の道を修行していると思って、人びとを見くだすであろう。利養にとらわれるために、在家の人たちに法を説いて、六つの超人的な力を具えた聖者のように尊敬されるであろう。(中略)彼らはつねに大衆の中にあって、私たち正法を弘める者を謗ろうと思い、国王や大臣や婆羅門(祭祀者)や長者や他の僧たちに向かって、私たちの悪行を言いたて、邪見の人であり、異端の説を説く者であると非難するであろう。世の中が乱れ濁ってくると、さらに多くの恐ろしいことがあろう。悪魔が彼らの身に入って、私たちを罵り辱しめるであろう。濁世の悪僧たちは、仏の方便の教えが相手の能力に応じて説かれたことを知らずにそれに執着して、真実の教えを弘める私たちを眉をひそめて悪口し、しばしば追い出そうとする」と。〈以上、経文〉

涅槃経の如来性品にも末世の悪僧について次のように説かれています。「私(仏)の入滅の後、はかりしれない時間を経て、四つの悟りの段階に達した聖者たちもすべて入滅してしまって世に現われない。仏の教えが名実ともに正しく行なわれる時代が過ぎて、形ばかりの仏法が残る像法の時代にも、僧と称する者がいるであろう。彼らは形だけ戒律を守っているように見せ、わずかばかり経を読み、ただ飲み食いに執着し、袈裟はつけているけれども、猟師が細目に視てそっと獲物に近づくように、また猫が鼠をうかがうように、世渡りをする。そして、いつも自分はすべての煩悩を断ち切った阿羅漢の境地に達していると言いふらし、外見は聖者のように装っているけれども、内面は貧りと嫉みの心で充たされている。ちょうど無言の行をして悟り澄ました婆羅門などのように、実は出家でもないのに出家の像をし、よこしまな考えがさかんで、正法を謗るであろう」と。〈以上、経文〉

涅槃経第九巻の如来性品には次のように説かれています。「善男子よ、一闡提(善根を断じた人)があり、彼は小乗の覚りを得た聖者のような様子をして人里はなれた静かな場所に住みながら、公正平等な大乗経典を誹謗するであろう。それなのに多くの凡人たちは、この人を真実の聖者であり、大菩薩であると讃めるであろう」と。

また般泥?経第六巻の問菩薩品には次のように説かれています。「一方では供養を受けるに値する聖者のようだ様子をしている一闡提がいて悪い行為をし、他方では一闡提のように誤解されそうな聖者がいて慈しみの心を現わすであろう。ここに聖者のような様子をしている一闡提がいるというのは、こうした多くの衆生が大乗経典を誹謗しているありさまを言うのである。また一闡提のように誤解されそうな阿羅漢というのは、仏の教えを聞いて覚る声聞を否定して広く大乗経典を説くのである。そして、衆生に語っていうには、私とあなた方とは、ともに菩薩の道を歩む者である。なぜなら、すべての生きとし生ける者にはみな、如来と同じ本性の性質があるからである。それなのに彼ら衆生は、この阿羅漢を一闡提というであろう」と。また同じく「究竟の処を見ないから、一闡提のやからの究極の悪業を見ないのであり、また無量の生死の究竟涅槃を見ないのである」と。〈以上、経文〉

これらの経文から今の世の中を見ますと、まさに今の仏教界もこの通りであります。悪僧すなわち謗法の人を誡めないで、どうして善いことができましょうか。

客はそれでもまだ憤って、次のようにいう。

賢明な帝王は天地を貫く道理にしたがって万民を導き、聖なる君主は正しいことと間違っていることとの道理をわきまえて世を治めます。今の世の僧侶は国じゅうの人びとの帰依するところであります。もし貴僧のいわれるように法を破り国を破る悪僧であれば、賢明なる帝王が信ずるはずがありません。また聖師でなければ賢人・哲人といわれる人びとが仰ぐはずがありません。賢王や聖人が尊敬し重んじていることからみても、今の高僧たちが立派な僧侶であることがわかります。それなのに貴僧はなぜみだりに人を迷わす言葉を吐いて、そのように謗られるのですか。いったい誰を指して悪僧だといわれるのですか。くわしく承りたいものです。

主人が答えていう。

貴殿の疑問にはよくよくの子細があるようですが、繁雑をさけてしばらく一つの事例を示しますから、それによってすべてのことを推察されるがよいと思います。

すなわち、後鳥羽上皇の時代に法然源空という者がいて、選択集という書物を著わし、釈尊一代の尊い教えを破って、多くの人びとを迷わせてしまったのです。

その選択集には次のように記されています。

道綽禅師の安楽集には、仏教を聖道門と浄土門の二門に分けて、聖道門を捨てて浄土門に入るべきであると説いています。その聖道門には大乗教と小乗教の二つがあり、大乗教の中にも顕教密教、権教・実教の区別があり、道綽は小乗教と大乗教の中の顕教と権教とを聖道門としました。

しかし、私(法然)が考えるに、この文から推測すれば当然、密教も実大乗教も聖道門の中に含まれるべきであります。そう考えれば、今の世に信仰されている真言・禅・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論の八宗は、みな聖道門の中に入り、捨てられるべきものです。

さらに曇鸞法師の往生論註には、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙論を読むと、菩薩が覚りを求めるのに難行道と易行道の二つがある、とありますが、この難行道とは聖道門のことであり、易行道とは浄土門のことです。浄土宗を学ぶ者は何よりも先に聖道と浄土、難行と易行の区別を知らなければなりません。たとえ以前から聖道門を学んでいる人でも、もし浄土往生を志すならば、きっぱりと聖道門を捨てて浄土門へ入らねばなりません」と。

また選択集第二章には次のようにいっています。「善導和尚は観無量寿経疏に、正行・雑行の二種の修行法を立て、雑行を捨てて正行に入らねばならないと説いています。第一の読誦雑行とは、往生浄土を説いた観無量寿経・大無量寿経阿弥陀経の三部経以外の大乗・小乗、顕教密教の諸経を信じたり読んだりすることです。第三の礼拝雑行とは、阿弥陀如来以外の諸仏・菩薩・諸天などを拝んだり敬ったりすることです。

私(法然)はこう考えます。善導和尚がいわれたことは、すべての雑行を捨てて専ら念仏の正行を修行すべきであると勧められたものです。百人が百人ともに往生できるという専修念仏の正行を捨てて、千人に一人も成仏できないという雑修雑行にどうして執着する必要がありましょうか。仏道を修行しようとする者はよくこのことを考えなさい」と。

また選択集の第十二章には次のように記されています。「貞元入蔵録という唐の貞元年間(785~805)に編集された経典の目録に記載されている最初の大般若経六百巻から、最後の法常住経にいたるまでの六百三十七部二千八百八十三巻のすべての大乗経典は、ことごとく観無量寿経にいう読誦大乗の一句に収められてしまいます。したがって、仏が方便として教えを説かれる場合にはやむをえず当分の間、定散二善のさまざまな修行の門が開かれているけれども、仏がみずからの本懐にしたがって真実を述べられる場合には、定散の二門は閉じられ廃止されてしまいます。末法衆生の前に一度開いて永遠に閉じられることのないのは、ただ念仏の一門だけです」と。

また選択集の第八章には次のように記されています。「念仏の行者は必ず至誠心・深心・回向発願心の三種の心を具えなければならないと言うことが観無量寿経に説かれています。

この文を善導が注釈した中に、『仏法の理解と修行の不同を主張し、念仏によって往生はできないという邪見雑行の人があって、念仏の行者の信心を妨げるでしょう。そのさまざまな異見の難を防ぎ、行者の信心を守るために一つの譬えを示しましょう。南と北に火と水の恐ろしい河があり、その中間を東から西へ細い道が一本走っています。西方を志す旅人がその道を行くと、東岸の群賊たちが危険だから引き返せと叫んでいます。この群賊たちが呼び返すという譬えは、念仏によって往生できないという邪見雑行の人が念仏の行者を妨げることを譬えたものです』とあります。私(法然)が考えますに、この注釈の中で念仏の行者と学解を異にし、修行を異にし、学問や思想識見を異にする者というのは、聖道門を指すのであります」と。〈以上、引用〉

また選択集の最後の結びの文には次のように記されています。「速く生死の苦しみから離れようと思うならば、聖道・浄土二門のすぐれた教えのうち、聖道門は覚りがたいからしばらくこれを閣(さしお)いて、浄土門を選びなさい。浄土門に入ろうと思うならば、正行・雑行二種の修行法のうち、すべての雑行をなげうって念仏の正行に帰依しなさい」と。〈以上、引用〉

以上に引用した選択集の諸文を見ますと、法然曇鸞道綽・善導の誤った解釈を引いて、聖道門と浄土門という教えの区別、難行道と易行道という修行の区別を立てて、法華経および真言をはじめ釈尊一代のあらゆる経々とあらゆる諸仏・諸菩薩および神々を、すべて聖道門・難行道・雑行の中におさめ、「捨てよ・閉じよ・閣(さしお)けよ・抛(なげう)てよ」とこの四字を教えて多くの人びとを迷わしています。そればかりでなく、インド.中国・日本の聖僧や仏弟子をすべて群賊だとののしっているのです。

このような言葉は、近くは源空が依りどころとしている浄土三部経の「五逆罪を犯した者と正法を謗った者とは往生できない」という阿弥陀如来の誓いの文に背き、また遠くは一代仏教の中心である法華経第二巻の譬喩品の「この経を信ぜずにそしる人は、死して無間地獄に落ちる」という釈尊の誡めの文に背くものであります。

さて、今の世は末世であり、人びとも愚かで聖人ではありませんから、みな迷いの道に入りこんで覚りへの道を忘れてしまっています。悲しいことには誰もその誤りを指摘し迷いをさまそうとはいたしません。痛ましいことには間違った信仰がますます広まっています。したがって、上は国王から下は一般民衆にいたるまで、みな経は浄土三部経以外にはなく、仏は阿弥陀三尊しかないと思っています。

その昔、伝教・義真(弘法)・慈覚・智証などの先師たちは万里の波濤を渡って唐に入り、各地の山川を回って仏像や経巻を日本へもたらし、比叡山の頂に堂塔を建てて安置し、あるいは深い谷に寺塔を建てて仏像を崇めました。また比叡山の東塔と西塔には薬師如来と釈迦如来とが安置されて、現在だけでなく未来までも威光を及ぼし、横川には虚空蔵菩薩地蔵菩薩が祀られて、教化利益の力は後生にまで施されました。だからこそ国主や地頭は土地や田畑を寄進して供養を捧げたのであります。

ところが法然の選択集が世に出てからは、人びとはこの娑婆世界の教主釈尊を忘れ、西方極楽世界の阿弥陀如来を貴び、伝教大師から続いてきた薬師如来は捨てられ、ただ浄土三部経だけを依りどころとして、釈尊一代の経典はすべて捨てられてしまいました。そして阿弥陀堂でなければ供養も捧げず、念仏の行者でなければ布施もしないようになってしまったのです。ために仏堂は荒れはて、僧房を訪れる人もなく、ただ雑草ばかり茂っています。それでも惜しいと思う者はなく、再建しようとする者もありません。

このようなありさまですので、住持の僧は逃げて帰らず、守護の善神も去ってしまいました。これらはみな、法然の選択集から起こったことです。まことに悲しむべきことには、法然の選択集が著わされてから現在にいたるまで数十年の間、多くの人びとがこの魔説に迷わされ、仏教の正道を失ってしまいました。

傍系を好んで正統を忘れるならば守護の善神も必ず怒るに相違ありません。円満な正しい法華経を捨てて、かたよった邪な浄土念仏を信ずるならば、悪鬼が入りこんで日本国を混乱させることは間違いありません。それゆえに、さまざまな祈祷を修して災いを除くことを祈るよりも、この災いの根源である念仏を禁止することが、まず第一に為されなければならないのです。

客はいちだんと怒り、顔色を変えていう。

われらの本師釈尊浄土三部経を説かれてから、中国の曇鸞法師は四論の講説をやめて浄土の教えに帰依し、道綽禅師は涅槃経を捨てて只ひたすら西方往生の行を弘め、善導和尚は雑多な修行をなげうって専ら念仏を修したのです。<法華の修行を雑行として捨て観無量寿経による専修念仏に帰依したのです。>

また日本の恵心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行だけが肝心であるとしました。<永観律師は顕密二教の教えを捨てて念仏の教えに入ったのです。>

このように中国や日本の立派な先師たちが阿弥陀仏を尊重しているのであります。また念仏によって往生をとげた人も数多くおります。その中でも、法然上人は幼少の時から比叡山に登り、十七歳で天台の三大部六十巻を学び、八宗の教義を究めました。そのほか一切経を七回もくり返して読まれ、注釈書や伝記類までも究めないものはありません。智恵の明らかなことは日月に等しく、徳の高いことは先師たちを越えています。

それでもなお生死の迷いを離れることができないため、広く浄土の先師の書を読み、時代や機根をよく考えて、深く浄土門の修行しやすいことに思いをめぐらせ、遠く聖道門の悟りがたいことを考えあわせて、その結果、ついに諸経をなげうって専ら念仏を修行されたのです。そのうえ、善導和尚の夢のお告げを得て、広く念仏を広めたのです。

そこで人びとは勢至菩薩の化身であるとも、また善導大師の再誕であるとも仰いで尊信し、天下の人びとはその教えを聞こうと頭を低くしてそのもとを訪れたのです。それ以来、数十年の年月が過ぎました。

それにもかかわらず、貴僧はもったいなくも釈尊の説かれた浄土三部経を軽んじ、阿弥陀仏誓願をそしられることは、まことにおそれ多いことです。どうして近年の災難を法然上人の念仏流行の時代の罪だといって、無理に曇鸞道綽・善導などの先師をそしり、さらに法然上人をののしるのですか。

例えていえば、毛を吹いて疵を探し、皮をこすって血を出すようなもので、よげいなせんさくです。今までこのような悪口雑言は聞いたことがありません。まことに恐ろしいことですし、慎しむべきことです。その罪はきわめて重く、科はとうてい逃れられません。こうして対座していることさえ恐ろしいことですから、私はこれで中座して帰ろうと思います。

主人はにっこりと笑って客を止めていう。

俗に蓼食う虫も好きずきといい、臭いもの身知らずともいうように、その事に染まってしまうと事の是非善悪がわからなくなって、善い言葉を聞いても悪と思い、正法を謗る人を見ても聖人といい、正しい師を見ても悪僧と疑ったりするものです。その迷いはまことに深く、その罪はきわめて重いものです。まず事の起こりをよくお聞きなさい。くわしく法然の謗法のありさまをお話ししましょう。

釈尊一代五十年の説法には、前後の順序があり、方便の教えと真実の教えとの区別があります。釈尊は人びとの機根に合わせてやさしい教えから深い教えへと説き進み、最後に本意を述べられたのが法華経であります。しかし、曇鸞道綽・善導らは、先に説いた方便権教を取って、後に本意を述べられた法華実教を忘れて捨ててしまったのです。

彼らはまだ仏教の根底を究めていない未熟な者といわざるをえません。ことに法然は浄土三師の流れをくむ者ですが、彼らと同じく仏教の根源が法華実教にあることを知らないのです。なぜならば、すべての大乗経典と仏・菩薩・神々を捨てよ、閉じよ、閣けよ、抛てよの四字を説いて、多くの人びとの心を迷わせているからです。

これは法然一人が自分勝手に曲げて解釈した言葉であり、まったく仏説にもとづいていません。その妄語・悪口の罪は他に比べるものもなく、責めても責めつくせません。<くわしく法然の謗法の主張の根底を考えてみますと、慈恩大師が三乗の区別を説く教えが真実であり一仏乗平等の教えは方便であるといい、弘法大師法華経は戯論の法であるといった間違った主張にも超え、光宅寺法雲が涅槃経が真実で法華経は邪見であるといい、賢首大師法蔵が華厳経が根本で法華経は枝末の経であるといった悪見にもすぐれた大謗法の邪見であります。大慢婆羅門が末法の日本に生き返ったのか、無垢論師が生まれ変わったのではないかと思われます。毒蛇を恐れなければなりません、悪賊を避けなければなりません。仏が、仏法を破壊し国を破滅させる原因となる、と誡められたお言葉はまさしくこのことです。ところが>

人びとはみな法然の間違った説を信じ、選択集を尊んで、浄土三部経だけを崇めて他の諸経を捨て、極楽世界の阿弥陀仏だけを拝んで他の諸仏を忘れてしまいました。まことに法然こそは諸仏諸経の怨敵であり、聖僧や大衆の敵であります。ところが今やこの邪教が広く天下に弘まってしまったのです。

いったい貴殿は、私が近年の災いを昔の罪だ、法然の謗法が原因だと非難したことをひどく恐れているようですが、それは間違いです。少しばかり先例を引いてその根拠があることを証明して、貴殿の迷いを晴らしてあげましょう。

天台大師の摩訶止観第二に史記を引用して次のように記しています。「周の代の末に、髪を乱し、衣を着ないで、礼儀をかまわない者たちがいた」と。この文を妙楽大師は摩訶止観弘決に春秋左氏伝を引用して次のように解釈しています。「周の平王が外敵に侵略されて都を東へ遷すとき、伊川のほとりで髪を乱した者が野に立って祭をしているのを見て、太夫の辛有が嘆いていうには、百年の後にはこの地も周の領土ではなくなるかもしれない。それは礼儀がすでにすたれてしまっているからだ」と。これらの文からわかるように、災いの前には必ずその前兆が現われるものです。

また摩訶止観には、前の文に続いてこのように記しています。「阮籍はすぐれた才能のある人であったが、つねに髪をのばし、帯も締めずに生活していた。そこで公卿の子弟たちもこれにならって、下品な言葉でののしりあったり、礼を無視することが自然であるといい、かえって礼儀を守り慎み深い者を田舎者と軽蔑した。これが司馬氏の滅びる前兆である」と。

また慈覚大師の入唐求法巡礼行記には次のようなことが記されています。「唐の武宗皇帝の会昌元年(841)、章敬寺の鏡霜法師に勅命を下して、三日ずつ各等々で弥陀念仏の浄業を巡回し行なわせたところ、同二年にはウイグル国の兵が唐の国境を侵略し、同三年には河北の節度使が反乱を起こした。その後、大蕃国(チベット)も唐の命令を拒否し、ウイグルが重ねて唐の領地を侵略した。このような戦乱の続いたことは、秦から漢へと移る時代と同じで、兵火によって多くの村や里が災難にあった。それだけでなく、武宗は仏教を迫害し、多くの寺塔を破却したので、反乱を収めることができず、ついに自分の命にも及んだのである」と。〈以上、取意引用〉

このように中国の歴史を見て、日本の現実に照らし合わせて考えてみますと、法然後鳥羽上皇建仁年間(1201~1204)の人であり、後鳥羽上皇隠岐の島に配流されたことは眼前の事実であります。念仏が災難の原因をなすということは、唐にその実例があり、日本にもその証拠が顕われています。疑ってはいけません。怪しんではいけません。近年のうち続く災難を除くためには、何よりもまず念仏の凶を捨てて、法華経の善に帰依し、災難の原因である謗法の根源を断ち切らなければなりません。

客は少し態度をやわらげて次のようにいう。

いまだ事柄の奥深いところまでは理解できませんが、およその趣旨はわかりました。

しかし、京都から鎌倉へかけて、仏教界には立派な人物が数多くいますが、まだこのことについて朝廷や幕府に進言した人はおりません。貴僧が身分をわきまえず軽々しく上奏を企てたことは、その意気ごみはよくわかりますが、道理にはずれた行為というべきで賛成はできません。

主人は答えていう。

私は賎しい身分で力不足の者ではありますが、ありがたいことには大乗の教えを学んでおります。青縄も駿馬の尾にとまっていれば労せずして万里の遠くに行き、緑の蔦も松の大木にからむことでおのずから千尋の高さにまで延びることができます。

そのように、仏弟子である私は、唯一の仏であります教主釈尊の子としてこの世に生まれ、諸経の王である法華経を学び、法華経を私の信仰の中心において仕えております。それゆえに、たとえ身分が賎しかろうとも、法華経を学んでいる者として、正しい仏法が衰えているのを見て悲しまないではいられません。何とかして真実の仏法を立てたいと考えるのは当然ではないでしょうか。

そのうえ、仏は<法華経法師品で薬王菩薩に次のようにいわれました。「薬王よ、よく聞くがよい、私の説いた数多くの経の中で、この妙法蓮華経が第一の経である」と。また「私が説き示した経典は千万億の多くにのぼるが、すでに説き終わった経、今説いた経、これから説くであろう経の、それらの経典の中でこの妙法蓮華経が最も信じるのが難しく、解るのが難しい経である」と。

また安楽行品では文殊師利菩薩にこういわれました。「この妙法蓮華経は、すべての仏の秘蔵する経で、すべての経典の中で一番上に置かれるものである」と。また薬王品では次のように説かれました。「たとえば、この世界のすべての山の中で須弥山が第一であるように、この法華経もすべての経の中で最高の経である。また夜空に光るすべての星の中で月の光が第一であるように、この法華経もあらゆる経の中で最も明るく光を放つものである。また太陽がもろもろの闇を除くように、この法華経もすべての悪の闇をとり除くのである。また大梵天王がすべての人びとの王であるように、この法華経を信じ持つ者もまたすべての人びとの中で第一の者である」と。>

また仏は大般涅槃経の寿命品に、「たとえ立派な僧であっても、正法を破る者を見て、これをとがめもせず、追い出そうともせず、その罪をただそうともしないならば、この人は仏法の中の怨敵である。これに対し、彼ら謗法の者をきびしく責め、正し、追い出すならば、これこそ真の仏弟子である」と誡められております。

法華経勧持品には八十万億もの多くの菩薩たちが誓いの言葉を次のように述べております。「私たちは身体も命も惜しまずに、ただ真の仏道を惜しむのである」と。

また大般涅槃経如来性品には、「たとえば、弁舌の非常にすぐれた者が王の使者として、王の命を受けて他国に使いすることがあったとき、他国において迫害にあって自分の生命を失うようなことがあったとしても、王の言葉は誤りなくその国の人に告げるのである。これと同じく、智者もまた、凡夫の中に入ってどのような迫害を受けようとも、自分の生命を惜しむことなく、仏の真実の教えは一切衆生がみな仏性を具え、仏になれるということが説かれているのだから、この教えを世間に説き弘めることに努めなければならない」と説かれています〈以上、経文〉>

私は決っして立派な僧といわれる身ではありませんが、「仏法の中の怨である」という仏のお吃りを受けたくないために、ただその大要をとって一端を述べるにすぎないのであります。どうして私の上奏が謂れのない暴挙と言われるのでしょうか。

その上、去る元仁年間(1224~1225)には延暦寺興福寺から、たびたび念仏停止の秦状が上呈されたので、嘉禄三年(1227)には朝廷から勅宣、幕府から御教書が下って、選択集の板木を比叡山の大講堂に取りあげ、三世の諸仏の御恩を報じるためにといって、これを焼却させ、法然の墓は祇園神社の御輿かきに命じてこわさせたのです。

また法然の弟子である隆観・聖光・成覚・薩生らは遠国に流されて、その後まだ許されていません。このような前例をもってしても、なお上奏した者がいないといえるでしょうか。

客は主人の言葉を聞いて、さらに態度をやわらげて次のようにいう.

私には法然が経典を軽んじたり、僧を謗ったりしているかどうかは、はっきりと断定はできません。しかし、すべての大乗経典とすべての仏や菩薩や神々を、捨・閉・閣・抛の四字をもって捨てたことは、その文にはっきりとしています。しかし、そのわずか四字くらいの瑕をとりあげて、法然を謗法の者だとそしるのはいかがかと思われます。

貴僧が迷っていわれているのか覚っていわれているのか、よくわかりません。貴僧のお考えが正しくすぐれているのか、法然が愚かで誤っているのか、いずれとも決められません。ただし、災難の起こる原因が選択集にあるということは、先ほどからの文証をあげてのお話でよくわかりました。

要するに、世の中が平和であり、国土が安穏であることは、国王から民衆にいたるすべての人びとの願いであります。思うに、国は仏法によって繁栄し、仏法は人によって貴ばれるものです。もし国が滅び、人がなくなってしまったならば、いったい誰が仏法を崇め信じるでしょうか。誰も信じる者はいないでしょう。でありますから、まず国家の安穏を祈って、その後に仏法の流布をはかるべきであると思われます。そこで、もし災難を除く方法があるならば、どうかお聞かせ願いたいものです。

主人は答えていう。

私はまことに愚かな者であって、災難をはらい除く方法はよくわかりませんが、仏の弟子でありますから、仏の教えにもとづいて経文を本として少しばかり考えていることを述べてみたいと思います。

およそ災難をはらい除く方法は、仏教にも仏教以外の教えにもいろいろとあって、具体的にあげることはむずかしいのです。しかし、他の教えはおいて、仏教の中でいえば、正法を謗る人を禁じて、正法を信ずる人を重んずるならば、国中は安穏で天下は泰平になるであろう、と私は考えるのです。

その理由は、まず涅槃経大衆所問品に次のように説かれています。「仏が純陀の問いに答えて言われるには、人に施すということは非常に善いことであるが、施してはならない者が一人あって、この一人を除くすべての者にはどのような人であろうと施しをすることは善いことで功徳は多いと。純陀がその一人とはどういう人のことであるかと問うと、仏は、それはこの経の中に説く破戒の者である、と答えられた。純陀はさらに、私にはよく意味がわからないが、どういうことかもう少しくわしくお説きいただきたいと願った。そこで仏は、破戒とは一闡提(いっせんだい)のことである。一闡提を除くすべての者に施すことは善いことであって、みなほめたたえ大果報を得るであろう、と答えられた。

純陀は再び一闡提とはどういうことですかと質問すると、仏は、純陀よ、僧侶や信者で口ぎたたく正法をそしる大罪を犯しながら、少しも悔い改めない者を一闡提というのである。もしも殺生、盗み、不義の交わり、妄語の四つの重罪を犯し、父母を殺し、僧を殺し、仏を傷つけ、僧団を破壊する五つの逆罪を犯して、このような重罪を犯したと知りながら、怖れる心もなく、繊悔の心もなく、自ら罪を告白しようともせず、仏の正法を護り大切にする心もなく、これを弘めようとする志もなく、かえってそしったり、軽蔑したりする者を一闡提というのである。この一闡提だけを除いて、その他のすべての者に施すことは善いことであり、すべてほめたたえられるであろう」と。

また涅槃経聖行品には、仏がご自分の過去の因縁を次のように説かれています。「私は昔、この人間の世界に生まれて大国の王となり、仙予という名であった。その時に大乗経典を大切にし、敬い、心は素直で、ねたみ・惜しみ・怨むといった気持ちはなかった。しかし、異端の教えを説く婆羅門が大乗の教えをそしるのを聞いて、ただちにその者の命を断ってしまった。しかし、正しい教えを護ったこの功徳によって、それから後は地獄に堕ちることはなかった」と。

また同じく涅槃経梵行品には次の様に説かれています。「仏が昔、国王となつて菩薩の修行をしていたとき、多くの婆羅門の命を断ったことがある」と。

同じく涅槃経梵行品に次のように説かれています。「殺生に上中下の三種類ある。下の殺生というのは蟻のようなものをはじめ、あらゆる畜生を殺すことである。ただし、菩薩が衆生を救うため畜生に身を変じている場合は除かれる。どんな生物でも微かながらも仏性を持っているから、これを殺せば地獄・餓鬼・畜生に堕ちる罪の報いを受ける。中の殺生というのは、凡夫から再び欲界に還ってこないという悟りの境地に達した聖者にいたるまでの人を殺すことである。その結果、地獄.餓鬼.畜生に堕ちて下の殺生よりも重い苦しみを受ける。上の殺生というのは、父母や声聞や縁覚や菩薩を殺すことで、この報いはもっとも重く無間地獄に堕ちるのである。このように三種の殺生があるけれども、一闡提を殺すことはその中に含まれない。異端の教えを説く婆羅門たちは正法をそしる一闡提であるから、彼らを殺しても罪にはならないのである」と〈以上、経文〉。

また仁王経受持品には次のように説かれています。「仏が波斯匿王に云われるには、仏法を護り伝え弘めることをすべての国王に委嘱して、僧および尼たちには委嘱しないのである。なぜならば、僧たちには国王のような威力がないからである」と〈以上、経文〉。

また涅槃経寿命品には次のように説かれています。「今、最高の正法をすべての国王や大臣や役人やその他、僧俗の仏弟子たちに委嘱する。正法をそしる者があれば、みな力を合わせて徹底的に根絶しなければならない」と。

さらに同じく涅槃軽金剛身品には次のように説かれています。「迦葉よ、私が仏となり、金剛の仏身を成就することができたのは、過去の世において正法を護ったからである。正法を護る者は五戒を守らなくとも、威儀を整えなくとも、まず刀や弓や鉾をとるべきである」と。

また同じ金剛身品の別の箇所では次のように説かれています。「五戒を持っても大乗の人とはいえない。たとえ五戒を守らなくても正法を護る者は大乗の人だといえる。正法を護る者は刀や杖を持たねばならない。刀や杖を持つといってもそれは戒を持つと同じである」と。

また同じ金剛身品には過去の護法の因縁を次のように説かれています。「過去の世に、この拘戸那城に歓喜増益如来という仏がおられた。この仏が入滅されてから無量億年も正法が滅びなかった。その正法が滅びようとする時に、覚徳という戒律を堅く持った僧が現われた。その時に多くの破戒の僧たちもいた。破戒の僧たちは覚徳が正法を説くのを聞いて、憎しみの心を生じ、刀や杖をもって覚徳を迫害した。この時の国王は名を有徳といったが、この事件を聞いて、正法を護るために覚徳の所にかけつけ、破戒の悪僧たちと戦って、ついに覚徳を救い出した。王は全身にすき間なく傷を受けた。覚徳はこれを見て、王よ、あなたは真に正法を護る人であるとほめたたえ、未来の世には必ず無量の力を具えた説法者となるであろうといった。王はこれを聞いて非常に喜び、やがて命終わって阿?仏の国に生まれ、その仏の第一の弟子となった。また王の家来で、王とともに戦った者、これを見て喜んだ者は、すべて真の道を求める心を起こして、命終わって後、ことごとく阿棋仏の国に生まれた。覚徳も命終わって後、また同じく阿棋仏の国に生まれて、この仏の第二の弟子となった。

これは過去の世の話であるが、いかなる世でも、正法が滅びようとする時は、このようにして正法を譲らなければならない。迦葉よ、その時の有徳王とは私のことである。法を説いた覚徳比丘とは迦葉仏である。迦葉よ、正法を護る者にはこのような無量の果報が得られる。この過去の因縁によって、私は今、種々の相好をもって飾り、決して破壊されることのない法の身を成就することができたのである。迦葉よ、正法を護る在家信者たちは、刀や杖などの武器をもって譲らねばならない。私が入滅して後の濁悪の世には、国は乱れて互いに奪い合い、人民は飢えに苦しむであろう。その時に食を得たいばかりに出家して僧となる者が多いであろう。このような者を禿人(とくにん)、すなわち頭だけを丸くして心は俗のままである者という。この禿人たちは正法を護る者を見ては追放し、殺したり、迫害したりするであろう。だから私は戒律を持つ出家僧が、武器をもった在家の者といっしょになって、正法を護ることを許すのである。武器をもっていても戒を持つと同じである。ただし、刀や杖を持っていても、みだりに人の命を断ってはならない」と。

法華経譬喩品には、謗法の罪の重いことを次のように説かれています。「この経を信じないで毀り破る人は、すべての世間の人びとの仏になる種を滅ぼすものである。また<この経を読み、書し、持つ者を見て、軽んじ、憎み、ねたみ、恨みをいだく者の罪の報いは>(中略)その人は命終わって後に無間地獄に堕ちるであろう」と〈以上、経文〉。

以上のように経文は明らかであります。このうえ私の言葉を付け加える必要はありません。法華経に説かれるとおりならば、大乗経典を謗る者は量りしれない五逆罪を犯すよりも罪が重く、無間地獄に堕ちて永久に浮かび上がることはできないでしょう。また涅槃経に説かれるとおりならば、五逆罪を犯した者に供養することは許しても、正法を謗る者に布施することは許されないのです。蟻を殺した者でも必ず三悪道に堕ちるけれども、謗法の者を殺せば必ず不退転の菩薩の位に達し、仏になれるというのです。

昔、謗法の者に迫害されても正法を弘めた覚徳比丘は、今は迦葉菩薩と生まれ、謗法者を殺して正法を護った有徳王は今、釈迦牟尼仏と生まれているのであります。

法華経・涅槃経に説かれる教えは、釈尊一代仏教のもっとも大切な肝心生命であり、<八万法蔵の中心眼目>であります。その禁は実に重大であります。誰がこれを守らない者がありましょうか。

ところが、謗法(ほうぼう)の人びとは正法を伝える人を無視し、そのうえ、法然の選択集にだまされて智恵の目を閉ざされてしまったのです。そして、ある者は法然をしのんで木像や絵画に表わし、ある者は選択集の邪説を板木に彫り、印刷して天下に弘めています。

専ら浄土念仏の家風だけを信仰し、法然の流れをくむ者だけを供養しています。さらに、ある者は釈尊の手の指を切り取って弥陀の印相に改めたり、ある者は薬師如来のお堂を改めて阿弥陀如来を安置したり、ある者は慈覚大師以来四百余年続いてきた法華経書写の修行をやめて浄土三部経を書写したり、ある者は天台大師報恩の講会をやめて善導の講としてしまいました。このような輩は数えきれないほどであります。

これこそまさしく仏を破り、法を破り、僧を破る大謗法ではないでしょうか。<これは国を滅ぼす原因ではないでしょうか。>

これらの邪義の根本は選択集にあるのです。ああ、仏の真実の禁に背くことは実に悲しむべきことであります。法然のような愚かな僧たちの、人の心を迷わせる邪説に従っていることは、実に哀れむべきことであります。一日も早く天下を穏やかにしたいと思うならば、何よりもまず国じゅうの謗法を禁じて、正しい仏法を立てなげればなりません。

客はいう。

もし仏が崇めている謗法の者を絶滅しようとするには、涅槃経に説かれているとおりに首を切ってしまわなければならないのでしょうか。もしそうならば、殺害は殺害を生み、罪業を重ねるばかりではないでしょうか。なぜならば大集経の法滅尽品には、仏は次のように説かれているではありませんか。「頭を剃って袈裟をつけていれば、戒律を持っていようといまいと、諸天と人間とは彼に供養しなければならない。彼に供養することは私を供養することになる。なぜならば彼は私の子であるからだ。もし彼を打つならば、それは私の子を打つことになる。もし彼を辱しめることは、それは私を辱しめることになる」と。〈また仁王経の嘱累品には次のように説かれています。「大王よ、仏法の滅びようとする末世の時、(中略)法に背いて罪人をとらえるように僧をつなぎ縛るならば、(中略)すべて小国の王がこの罪を犯せば、みずからの国を滅ぼす報いを受けるであろう」と。

また大集経の忍辱品に、仏は次のように説かれています。「大梵天王よ、私はいま汝に少しく説き示そう。もし人が無量の仏の身を傷つけ血を出したならば、その罪はいかばかりであろうか。大梵天王が答えていうには、ただ一仏の身を傷つけ血を出しただけでも無間地獄に堕ちて量りしれない苦しみを受けるのである。まして無量の仏の身を傷つけ血を出す者の罪業の報いについては、仏以外の誰が説くことができようかと。仏が大梵王にいわれるには、大梵王よ、もし髪を剃り、袈裟をつけて、少しも戒律を受けず、また戒律を受けても破る者たちを、悩ませ、罵り、辱しめ、打ち、縛るならば、その者は仏の身を傷つけ血を出した者よりもさらに大いなる罪を得るであろう」と。

また同じ大集経忍辱品には次のように説かれています。「国王ならびに裁きを行なう者よ、(中略)仏の教えに従い出家した者で、殺し、偸み、不義の交わり、妄語およびその他の悪業をなそうとも、彼らを(中略)打ち、罵り、辱しめるなど、その身に一切罪を加えてはならない。もしこの法に背くならば(中略)必ず無間地獄に堕ちるであろう」と。

さらに同じく大集経忍辱品に「未来の世に悪心の衆生があって、仏法に帰依してわずかな善業を積み、布施を施し、戒律を持ち、禅定を修するであろう。このようなわずかな善根の功徳によって国王となり、愚かで、少しも恥じる心なく、おごり高ぶる心のみ盛んで、人びとを哀れむ心もなく、後生の怖れるべき事をも考えようとしない。この愚かな王たちがあらゆる仏の弟子たちを悩ませ、打ち、縛り、罵り、辱しめるであろう。(中略)彼らはこの悪業によって無間地獄に堕ちるであろう」と説かれています。>

これらの経文によれば、是非・善悪を論ぜず、持戒・破戒にかかわりなく、僧であれはすべて供養を捧げなければならないのです。仏弟子を打ち辱しめて、その父である仏を悲しませてよいでありましょうか。昔、竹杖外道が目連尊者を殺したために無間地獄の底に沈んだことや、提婆達多が蓮華比丘尼を殺して無間地獄の焔に焼かれたことは、明らかな先例であり、証拠であります。後世の私たちがもっとも恐れなければならないことであります。涅槃経の説示は謗法を禁めるようではありますが大集経の仏の禁を破るものではないでしょうか。ですから謗法者の命を奪うというようなことはとても信じがたいことであります。いったいこれをどのように心得たらよろしいのでしょうか。

主人は答えていう。

貴殿は謗法を禁ずる涅槃経の明らかな文を見ながら、またそのような疑問を抱いているのですか。私の意図が貴殿に十分に届かないのでしょうか。それとも明らかな道理が通じないのでしょうか。

この経文の意味するものは、仏弟子を禁めるというのではなく、謗法の罪を責め、除こうというのであります。<貴殿が先に引用された経文は戒律を持つ正しい見解の僧や、戒を破り、あるいは戒を受けていない正しい見解の者について説いたものであって、いま責め除こうとするのは戒を持つ邪しまな見解の者と、戒を破り、あるいは戒を受けていない悪しき見解の者とについて説かれたものであります>。

そもそも謗法を禁断する方法として、昔の釈尊の事蹟を語るときは、仙予王や有徳王として謗法者の命を断ったことを説きましたけれども、今の釈尊が教えるのは、謗法者に対して布施をしてはならないということであります。<しかし、これは限られた時の特別な方法であります。インドの戒日大王は仏法を保護した優れた聖人であります。王を殺害せんとした外道の婆羅門に対して、その首謀者だけを罰し、他の外道はすべて殺すことなく、国外に追放し誡めたのであります。また中国の宣宗皇帝は賢明なる国王でよく仏教を保護されました。道士十二人の罪を責めて殺し、国内の仏敵を除き、仏教を復興させたのであります。このインド・中国の例は外道や道士が仏法を滅ぼそうとしたものであり、その罪はまだ軽いものでした。しかし今、日本の場合は仏教の内部から、仏の弟子である者が仏法を破り滅ぼそうとしているのですから、その罪はきわめて重いものがあります。すみやかに重い科に処さねばなりません>

そうでありますからただちに、日本国じゅうの人びとが謗法の悪に対する布施を止め、正法に帰依したならば、どのような難も起こることはありませんし、どのような災いも起こることはありません。

客は席を下がり、襟を正して次のようにいう。

仏の教えはいろいろと細かく分かれていて、その真意はたやすくわかりません。疑問も多く、道理にかなっているかどうかも明らかでありません。しかし、法然の選択集は現に今ここにありますが、その中に一切の仏も経も<法華経の教主釈尊も>菩薩も神々も<日本国守護の天照太神や正八幡も>、捨てよ、閉じよ、閣けよ、抛てよの悪言をもって、すべて排斥していることははっきりとしています。この誤った教えが信じられているために、聖人はこの国を去り、国を護るところの善神も国を捨ててしまい、その結果、天下は飢饉と疫病に苦しんでいるのです。

今、貴僧が広く経文を引用して道理を示され、そのお諭しによって私の迷いは晴れ、目がさめました。要するに、国土が泰平であり、天下が安穏であることは、上は天皇から下は万民にいたるまで、すべての人びとの好むところであり願い求めるところであります。しかし誤った教えが弘まっているために国が安らかでないというならば、一刻も早く正しい教えを立てなければならないのですから、一日も早く一闡提謗法の輩に対する布施を止めて謗法の根源を断ち切り、多くの正しい僧尼に供養を捧げて智者と仰いで、正しい教えの弘まるようにいたしましょう。

こうして仏法の中の盗賊、謗法者を断てば、伏羲.神農.唐尭・虞舜の時代のような平和な国土が実現されるでありましょう。そうしてから仏法の浅深<顕密二教の浅深>邪正をよく考えて、<法華と余経の勝劣を明らかにして>仏門の指導者を崇めましょう。<一乗法華の教えが弘まるように尽くしましょう>。

主人は喜んでいう。

それは大変に結構な事です。中国の故事に鳩が鷹となり、雀が蛤となるということがありますが、貴殿がそのように速やかに心を翻されたことは、まことに喜ばしいことであります。蘭の室に入れば身体は芳しくなり、麻の田に入れば蓬もまっすぐになるように、貴殿が私の言葉を信じて災難に対処するならば、世の中は風が和らぎ、波が静かになるように、必ず穏やかとなり、日ならずして豊年となるでしょう。

しかし、人の心は時節とともに変わりやすいものであり、また物の性質は環境によって変化するものです。ちょうど水に映った月が波によって動き、戦場で兵士がおびえるようなものです。貴殿は今は私の主張を聞いて信じているようですが、後になると忘れてしまうこともあるでしょう。もし心から国土の安泰を願い、現世の安穏を祈り、未来の成仏を求めるならば、すみやかに心を改めて、謗法の者を折伏し絶滅しなければなりません。

なぜならば、薬師経の七難のうち五つの難はすでに起こって、外国からの侵略と国内の戦乱という二つの難が残っています。大集経の三つの災いのうち二つの災いはすでに顕われましたが、戦乱の一つがまだ残っています。金光明経に説かれるさまざまな災禍はほとんど起こりましたが、外国からの侵略という災難だけはまだ現われていません。仁王経の七難のうち六難は今さかんに起こっていますが、四方の賊が攻めてきてこの国を侵すという難だけは現われていません。そのうえに前に引用した仁王経の文にも、「国が乱れる時はまず悪魔が力を得てはびこり、悪魔が乱れるから万民が悩まされる」とありました。この経文に照らし合わせて現在の日本の状況をよく考えてみますと、まさしく悪魔が力をふるって、そのために多くの人びとが倒れ死にました。

このように経典に説かれたさまざまな難がすでに起こったことからみれば、残りの災難も必ず現われるに相違ありません。もし残りの災いである内外の戦乱の二難が、選択集の謗法の罪によって連続して起こってくるようなことがあったならば、その時はどうされますか、どうすることもできないでしょう。

世の中をみると、帝王は国家を基として政治を行ない天下を治め、人民は田畠を耕して世の中をたもっていきます。それなのに外国から攻められて国土を侵略され、また国内の戦乱によって土地を奪われたならば、どうして驚かずにいられましょうか、どうして騒がずにいられましょうか。国が亡び、家を失って、いったいどこに逃れるところがありましょうか。一身の安らかであることを願うならば、まず何をおいても世の中が穏やかになることを祈らなければなりません。

ことに、人は誰でも死後のことを恐れるものです。そのために誤って邪教を信じたり、あるいは謗法の教えを貴んだりしてしまうのです。その是非.善悪に迷うことは悪いことですが、仏法に帰依しようとする心はまことに尊いことです。ゆえに同じく信心をするなら、邪教を信じてはいけません。もし邪教にとらわれる心を改めず、間違った考えがいつまでも残っているならば、天寿をまっとうすることなく早くこの世を去り、死んでのちは必ず無間地獄に堕ちるでありましょう。

なぜならば、大集経には次のように説かれているからであります。「国王があって、永い間、布施をなし、戒律を持ち、智恵を修行しても、仏法の滅びようとするのを見て、これを護らないならば、永い間に植えた善根もすべて消えうせてしまうだろう。(中略)その王は重い病気にかかり、死んで後には大地獄に堕ちるであろう。王はかりでなく、夫人も太子も大臣はじめ百官もそれと同じようになるであろう」と。

仁王経嘱累品にも次のように説かれています。「仏教を破る人には親孝行の子は生まれない。親類じゅう仲違いして、天の神も助けてくれな。病魔におそわれない日々はなく、生涯どこへ行っても災難がついてまわり、死んでからは地獄・餓鬼・畜生におちるであろう。たまたま人間と生まれても兵士や奴隷となって苦しみを受けるであろう。響きのように、影のように、夜、灯の光で字を書いても、灯の消えた後も字は残るように、現世で犯した謗法の悪業の罪は消えないのである、と。

大品般若経の信毀品にも次のように説かれています。「正法を毀り破る業や因縁が集まるから、無量百千万億歳もの間、大地獄に堕ちるのである。この破法の人びとは大地獄から大地獄へと転々として、もし劫火が起こって世界が滅びる時には、また他の世界の大地獄の中に生まれ、大地獄から大地獄へと転々するであろう。(中略)このように十方世界の大地獄を経回るであろう。(中略)重罪を減じて人間に生まれ変わるならば、目の見えない人の家に生まれ、旃陀羅の家に生まれ、便所を掃除し、死者を担うなどの身分の低く卑しい家に生まれるであろう。あるいは目の不自由な、あるいは口の不自由な、あるいは耳の不自由な、あるいは手の不自由な人と生まれるであろう」と。

また大集経の護持正法品にも次のように説かれています。「大王よ、もし未来の世に武士・司祭・商工業者・奴隷の四姓階級があって(中略)、彼らの中の愚かな人が不信のゆえに他の人の施すところの物を奪うならば、その人は現身に二十種の大悪果報を受けるであろう。二十種とは、一には諸天善神がすべて捨て去るであろう。四には怨み憎む悪人が集まり来るであろう。六には心が狂い乱れ、常に町中をさまよい歩くであろう。十一には愛する人とすべて離別するであろう。十五にはすべて財物を分散するであろう。十六には常に重い病気にかかるであろう。二十には常に非常に汚い処にあるであろう。(中略)死んで後は無間地獄に堕ちるであろう」と。

また同じく大集経には次のように説かれています。砂漠にあって身体不自由の身と生まれ、熱風が剣をもって切るように身体に吹きつけ、大地を転げ回るなどのような百千もの苦を受けるであろう。さらに死んで後には大海の中に生まれ、人に食される身となるであろう。その形は百由旬もの大きさであろう。その罪人の住んでいるところの水の熱さは銅をも融かすほどであり、長い年月を経て猛禽や猛獣が飛び来たり走り来たって食べられるであろう。(中略)その罪をようやく減じて人と生まれ変わることができても、仏のいない国や悪世の汚れ濁った国に生まれるであろう。生まれながらに身体は不自由で、人は顔をそむけるであろう」と。

また六波羅蜜経の不退転品には、次のように説かれています。「地獄に堕ちてさまざまな苦しみを受け、十三の火に身体じゅうを焼かれるであろう。この地獄の衆生の身体の軟らかなことは、どろどろに煮た牛乳のようなもので、十三もの火に焼かれ、花柄の毛織物を焼き尽くすように、残るところはないであろう」と。

法華経第二の巻の譬喩品には、次のように説かれています。「もし人がこの経を信じないで毀るならば、<一切世間の人びとの仏となる種を断つことになるだろう。あるいは教えに対して顔をしかめ疑いを持つ人は、(中略)この経を読み書き信じたてまつる人を見て、軽んじ賤しめ憎み嫉み、恨みを深く懐くならば、この人の罪の報いはどれほどであるか、それを今よく聴いておけ。<その人はこの世の命終わって無間地獄に堕ちるであろう。<地獄の責め苦は延々と、一劫が終わればまた次と繰り返して尽きることがない。(中略)そして動物界に堕ちてゆき、大蛇の身となり、五百日歩く距離ほどの身となるであろう>」と。

また同じく法華経第七巻の常不軽菩薩品には、次のように説かれています。<僧や尼僧、信者の男女たちは、怒りの心を抱き、不快の念を生じ・悪口あびせ、罵って言うには、このおろかな僧は何者であるかと。そして、人びとは杖や棒で打ち叩き、瓦や石を投げつけた。>

彼らはこの法華経の行者を迫害した罪によって千劫もの永い間、無間地獄にあって大いなる苦しみを受ける」と。

涅槃経の迦葉品には次のように説かれています。「善き師を捨てて正法を聞かず、悪法に執着するならば、その罪によって無間地獄の底に沈んで、八万四千由旬の広大な身体いっばいに、永久的に地獄の苦しみを受けるであろう」と。

このように多くの経文を開いてみますと、謗法の罪が最も重いとされています。それにもかかわらず、日本国の人びとがみな、正法の家を捨てて邪教謗法の獄に入ってしまうのは、まことに悲しいことであります。また日本国中の上下万人ことごとく悪い教えの綱にひかれて謗法の網にからまって脱げ出せずにいるのは、まことに愚かなことであります。今生では迷いの霧にたちこめられ盲目となって無量の災難受け、後生では地獄の焔の底に沈み無限の苦悩を受けるのであります。まことに嘆かわしいことであり、これを心配せずにいられましょうか。苦しまないわけにいきましようか。

貴殿は一刻も早く邪まな信仰を捨てて、ただちに唯一真実の教えである法華経に帰依しなさい。そうするならば、この世界はそのまま仏の国となります。仏の国は決して衰えることはありません。十方の世界はそのまま浄土となります。浄土は決して破壊されることはありません。国が衰えることなく、世界が破壊されなければ、わが身は安全であり、心は平和でありましょう。この言葉は真実であります。信じなければなりません、崇めなければなりません。

客はいう。

今生の安穏、後生の成仏を願って、誰が慎まない者がありましょうか。誰が恐れない者がありましょうか。今ここに示された経文によって具体的に仏の御言葉を承りますと、仏を謗り、経を謗った謗法の罪がいかに重く深いものであるかを知ることができました。

私が弥陀一仏を信じて諸仏をなげうち、浄土三部経だけを仰いで諸経を捨てたのは、私一個人の考えではなく、浄土宗の先師の言葉に隨ったまでであります。おそらく世の中のすべての人びともそうでありましょう。現世ではいたずらに心を痛め、来世には無間地獄に堕ちるということは、経文とその道理から明らかであり、疑う余地はまったくありません。今後とも貴僧の慈悲あふれる教えを仰いで、私の愚かな迷いの心を晴らし、すみやかに謗法の者を根絶し、一日も早く平和を招き、まず今生を安穏に、そして後に未来の成仏を祈りましょう。ただ私一人が信ずるだけでなく、他の人びとの誤りをただすことに努めたいと思います。



安国論副状

いまだ御対面の機会を得ないとはいえ、国の存亡に関わる重大事に関して書面を提出するということは世間のならわしでありましょう。そもそも、正嘉元年(1257)八月二十三日午後九時ごろの大地震について、私(日蓮)が諸経の文に照らし合わせて考えた結果、日本国の上下万民すべてが念仏宗禅宗などの間違った教えに帰依しているために、この国を守るべき諸天善神が怒って起こした災難である。もしこれら悪法を広める諸宗を根絶しないならば、日本国が外国から攻められ滅びてしまう悪い前兆であることを論じた一巻の書を撰述し、立正安国論と名つげ、正元二年(文応元年、1260)七月十六日、宿屋入道光則を通じて故最明寺入道殿に御覧に供するよう進上したのである。(後欠)

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