日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















「覚悟」という言葉に隠された本当の意味とは

スポンサーリンク







今回のテーマは「覚悟」です

 

一般的に使われる覚悟の意味は、心構えをすること、

 

強い決意をすること観念することだと思います。

 

覚悟の、「覚」(覚める)も「悟」(悟る)もどちらも「悟る」という意味です。

 

つまり、覚悟というのは、もともと、悟りを開いたということを意味する言葉です。

 

もともと、ブッダが悟りに至ったのは、厳しい修行に打ち込んでいたのですが、

 

なかなか悟りを開くことができず、菩提樹という木の下に座って悟りを開くまでは

 

ここを立たないぞとまさに生きるか死ぬかの強い決心を持って臨んで35歳の

 

12月8日に悟りに至ったと言われています。

 

そういうことなので、覚悟というのは、強い決心、生きるか死ぬかというぐらいの

 

強い決心で臨んだわけなので、今日、このような意味として使われていると

 

思われます

 

覚悟の反対の言葉は、「迷う」です。

 

我々は深い迷いの眠りの中にいる、ようは眠りこけているわけですが、

 

そこから目を覚ますと本当の幸せになる

 

これが悟りを開いたということで、覚悟と言ったわけです。

 

我々が生きるということを川を下る船と例えると、紅葉のシーズンなどでは、

 

遊覧船などがあったりして紅葉を楽しんだりしますね

 

食事が出てきたりお酒が出てきたりして盛り上がるわけですが、

 

川を下って言った先に落ちたら確実にアウトな感じのとんでもない滝壺が

 

待ち受けていたとしたら、宴会騒ぎをして酔っ払って酩酊状態にあったら、

 

そんなことしてる場合じゃないって言いたくなりますね。

 

しかし、仏教では、人間の姿というのは、このような状態で酔っ払ってる

 

姿なんだと言っているわけです。

 

危機的状態にあるのに、のんきに酔い潰れたり酩酊状態になって騒いでる、

 

そんな状況であるとしています。

 

人間は、一日経つごとに死へ向かっているわけです

 

滝壺というのは死を意味するわけなので、確実に船は滝壺へ向かって

 

進んでいるわけです

 

そんな状況ですが、我々はどのくらいそのことを自覚してるかというと、

 

そんなことは忘れて酔っ払っている状態

 

煩悩の今、見えてる状態、つまり、どのくらい資産を増やせるかとか、

 

その人好きだとか嫌いだとかこのトラブルどうやったら解決できるだろうか

 

とかそういうことで毎日が過ぎていっているわけですね

 

つまり、船の中でワーワー騒いでる状態ということですね

 

ワーワー騒いでいるうちに、刻一刻と滝壺へ近づいているということになります。

 

確かにその欲を満たす喜びというのは嬉しいんですが、振り返ってみると、

 

何も残らないわけです

 

思い出として物で残るものもありますが、基本的には、欲を満たすものは

 

何も残らない、瞬間的な儚い喜びであり、滝壺に落ちるときには全て消えて

 

しまうわけです。

 

仏教では、そういう刹那的な喜びではなく、本当の人間に生まれてきて

 

よかったというような喜びを与えようとするのが教えの根本になっています。

 

しかし、我々は酔っ払いの酩酊状態にあるので、仏の教えが全然耳に

 

入ってこないわけです。

 

こんな酩酊状態の中目を覚ますのは相当な覚悟、決意がないと目が覚めないわけです。

 

そういうのは知っておいたほうがこれからの人生幸せになる可能性が高まると

 

言えるでしょう

 

 

スポンサーリンク





 

 

スポンサーリンク