日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















仏教の根本思想 自灯明 法灯明 これを学ぶだけでも幸せになれます!!

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今回は、「自灯明、法灯明」に関してお話しします。

 

この言葉を聞いたことある人はどのくらいいるでしょうか

 

おそらく、仏教を勉強してるような人、宗教家などでない限りは

 

聞いたことはないかも知れません。

 

この言葉は、ブッダが亡くなる少しまえに言った言葉であると伝えられています。

 

いわゆる、ブッダの遺言の一つと考えていいかと思います。

 

なんで言ったのかというと、ブッダも歳をとって、かなり体調も悪かったりした

 

ようで、近くにいた弟子の中には、ブッダはもしかしてそろそろやばいんじゃ

 

ないだろうかと考えた人もいたようです。

 

その中の一人の弟子が、ブッダにこんなことを言ったそうです

 

「今までブッダに色々なことを教わりました。お釈迦様、ブッダをよりどころとして、

 

支えにして今日まで歩んできた我々はブッダ亡き後、何を心の支えに生きて行ったら

 

いいんでしょうか」

 

その時にブッダが言った言葉がこの言葉だったとされています。

 

自灯明とは、自らを灯とせよ

 

法灯明とは、法を灯とせよ

 

灯というのは、心の明かり、心の支えという意味になります

 

自らを心の支え、灯にし、法を心の支え、灯とせよということですね

 

自灯明、自らを灯とせよというのは、その尋ねた弟子からすると、他(ブッダ

 

を灯としていたわけですね。

 

これでは、もしブッダがいなくなれば心の灯、支えを失ってしまうということに

 

なります。

 

例えば、人間国宝みたいな人がいて、その人がいなくなったら技術や技は

 

伝承されないという一代限りで終わってしまうという事がありますね

 

何かの宗教団体で言えば、カリスマ的な教団のトップなどを

 

心の支えにしていた場合はその人がいなくなってしまったら助からない、

 

救われないっていうことにもなります。

 

仮に、ブッダに何かものすごい力があって、その力によって人々が救われて

 

いるのであれば、ブッダがいなくなってしまえばそれでおしまいということに

 

なるわけなんですが、仏教というのは、基本的にはそういう教えではないわけですね。

 

ブッダは、そういう意味で、ブッダが亡くなった後も、

 

私を支え拠り所とするのではなく、自分自身を明かりとして灯として

 

自立して生きて生きなさいということを言ってるわけです。

 

その時に、「法」を灯としなさいと言っています。

 

ブッダ亡き後もブッダは残した法は残り続けるということで、

 

それを聞いた弟子たちに、勇気や力を与えたとされています。

 

この考え方が仏教の、ほかの宗教と根本的に違う部分、心理学や哲学に

 

通じる部分はここなんだろうなと思っています。

 

そういう意味でも、信心有る無しにかかわらず、仏教は勉強する

 

価値がすごくあると思いますし、人生がガラリと変わる考え方が

 

身につくので、とてもオススメです。

 

 

 

 

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