日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

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あなたは、物事を正しくありのままに受け止めることができていますか? 正見

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今回は「正見」です

 

正しく見ると書いて正見といいますが、物事、真理をありのままに

 

正しく見るということなのです。

 

正見の反対語は「邪見」と言われます

 

これは反対語なので、物事をありのままに見ていない、曲げて見ている状態です。

 

仏教では、物事を正しく受け止める、ありのままにみるというのが

 

第一歩になるんですよと言われています。

 

最初の物事の見方、捉え方を誤ってしまうと、シャツでいうと、

 

ボタンを掛け違えたように、最後まで全てずれてしまうということになるので、

 

最初に物事を正しくありのままに捉えられるかどうかというのが

 

第一歩ということです。

 

室町時代に、こんな話がありました

 

とんちで有名な一休さん、一休和尚ですが、どこからどう見ても

 

ぐにゃぐにゃに曲がった松の木の横に立て看板を立てて、

 

その看板を見て大勢の人が集まっていたそうです

 

そこに、同じ時代の僧侶の蓮如上人という人が通りかかり、

 

どうしたんだ?と聞いたところ、一休和尚がここに看板を立ててまして

 

というので見てみると、めっちゃ曲がりくねった松をまっすぐに見たものに

 

大金を与えるとかいてあったわけです

 

蓮如上人はそれを聞いてすぐに、私はもうまっすぐ見たぞと言ったそうです

 

そこにいた大勢の人は梯子を持って見たり横から見たりいろいろな角度から

 

見てもどうやってもまっすぐ見れず困っており、これを一体どうやったら

 

まっすぐに見えるのですか?と聞いたそうです。

 

すると蓮如上人はこう答えました

 

「曲がった松じゃのう、と見よ」

 

これほどまっすぐな見方はないのだ

 

という話です。

 

正しくありのままに曲がったものは曲がったものとまっすぐなものとはまっすぐ、

 

四角いものなら四角く見なさいよというのが「正見」、正しくみるということ

 

ですね

 

忘れ物が多い人が、忘れ物が少ない人に、君は忘れ物少ないからすごいよねと

 

言ったところ、いや、僕も忘れやすくてすぐに忘れちゃうんだよという返事が

 

返ってきたそうです。

 

忘れ物少ないのに忘れやすいってどういうことだろうと普通は思うところですが、

 

実は、その人は自分が忘れやすいことをありのままの自分をみて認識してる

 

からこそ忘れないようにいつも気をつけていたということだったりする

 

わけなんですね。

 

自分は忘れやすいということを受け入れてるからこそ、次のステップとして、

 

忘れないようにするにはどうしたらいいんだろうと考えて行動を起こせるわけですね。

 

ありのままを受け入れずに、自分はこんなんじゃないんだと頑張って

 

しまうとどんどん苦しく辛い思いをしてしまいますよね

 

もっとできるはずなのにって心に負担がかかってしまう状態になってしまうので、

 

現状をありのままに正しく受け入れる、そこから次のステップに

 

正しい方向に進んでいくことがとても重要になってきます。

 

 

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