日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















四聖諦 仏教の全体像を把握しましょう

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今回は四聖諦について語ります

 

四諦ともいうようですが、この諦というのは、もともとインドの言葉で

 

「サットヤ」と言われており「真理」という意味です

 

いつの時代でも、いつの世でも、昔も今も、これからも、どこでも、日本でも

 

アメリカでもヨーロッパでもアフリカでもどこへ行っても変わらないこと

 

このことを「真理」と言います。

 

つまり、四聖諦というのは、4つの真理ということになります

 

ブッダ四諦を悟り、人々に教えたのが仏教と言われています

 

・苦諦(くたい)

 

・集諦(じゅうたい)

 

・滅諦(めったい)

 

・動諦(どうたい)

 

これは、苦しみの原因と結果、幸せの原因と結果を教えたものです

 

苦諦と集諦は、迷界の因果(苦しみ迷っている原因と結果)を教えたものであり

 

滅諦と動諦は、悟界(幸せの原因と結果)、つまり、悟りの世界を教えたものです

 

このことより、四聖諦は、迷悟因果(めいごいんが)とも言います

 

我々が、病気になると熱が出たり、咳が出たり、だるくて身体中が痛いという症状が

 

出たりしますが、風邪を引いてても、自覚がない場合もありますよね

 

なんか今日はちょっと調子悪いなぐらいにしか思ってないような状態です。

 

この状態を四聖諦では苦諦の状態ということです

 

本人に自覚がないことには治療のしようがないわけです

 

ちょっと調子悪いなと思って、仮に病院に行ったとしますよね

 

診察室に呼ばれて、中に入った瞬間に、「じゃあ3日分のお薬出しておきますからね」

 

といきなり薬を出す医者はいませんよね

 

まずは、どうされましたか?と問診から始めるはずです

 

これは何をしているのかといえば、病気の原因を突き止めることをしてる

 

わけですね

 

ここで間違えると、治るものも治らないので、色々聞いてみたり触ってみたり

 

聞いてみたり見てみたり色々するわけです

 

この部分が、四聖諦でいう、集諦の部分になります

 

風などの軽い症状ならいいのですが、聞いたことのない

 

病名を告げられたらかなり不安になりますよね

 

それって治るんですか?と聞いたときに、「大丈夫、治りますよ」と

 

言ったとします。

 

この部分が、四聖諦でいう、滅諦の部分になります

 

そしたら、次は、どうしたら治るんですか?という疑問が湧きます

 

手術しましょうとか、薬を飲みましょうとかそういう治るまでの道を

 

示してくれることを、四聖諦でいう、道諦の部分になります

 

ブッダが悟った真理は、なぜ人は苦しむのかという原因と結果の関係、

 

どうすれば幸せになれるのかという因果の関係、これらを悟って

 

仏教として人々に伝えたわけです。

 

これがいわゆる仏教の全体像となります

 

仏教では、生きることは苦しみであると教えているので、人によっては納得する

 

人もいるでしょうし、人生楽しいと思ってる人からすれば、そんなことないでしょ

 

なんか仏教って生きることに否定的でくらい教えですねという人もいるかと思います。

 

では、なぜ仏教では、生きることは苦しみであると教えているのでしょうか

 

具体的に、その苦しみを3つに分けた、「三苦」をみていきましょう

 

・苦苦(くく) 

 

それ自体が苦しみで、我々が普通に感じる苦しみはこれになります

 

今日暑いなあとか、寒いなあ、お腹が空いたなあ、病気になって苦しいなあ

 

人間関係でこじれてあの人と会うのも嫌だなあとか借金返済とかそういうの

 

諸々ですね

 

 

・壊苦(えく)

 

楽しみが壊れて苦しみに変わることを言います

 

楽しかった嬉しかったこと、好きなことが台無しになって壊れてしまった

 

時に感じる苦しみとなります

 

新車を買ったのに、十円玉か何かで傷をつけられてたとか、失恋とか

 

旅行に行って楽しかったけど、帰ってこなければならないというような

 

楽しい時間が終わるような時、飲み会で大騒ぎして楽しかったのに、

 

帰り道一人ぼっちみたいなのとかそういうのですね

 

・行苦(ぎょうく)

 

世の無常を感じる苦しみです

 

我々が今手に入れてるものなどは、仏教では、無常であると教えています

 

いつまでもないんですよ、続かないんですよということですね

 

どんなものも必ず壊れる、大切な人とも必ず別れがくるなどですね

 

ブッダは、この行苦を感じて悟りを開いたので、これが仏教の始まりとも

 

いえます。

 

人間の最終地点は、すべての人に共通している「死」となります

 

いくら人生が幸せに満ちていても、最後が暗いのであれば、やはり人生とは

 

なんだったんだろうと思ったりするわけですね。

 

そういう意味で、人生は苦しみである生きることは苦しみであると説いて

 

いるわけで、それを認めた上で、ではどうしたら老い、病、死が来ても

 

崩れることのない本当の喜び、人間に生まれてよかったと思える満足、幸せを

 

送ることができるのか、それを仏教で学んで行くということですね

 

これらが苦諦となります。

 

ではその苦しみや悩みが集まる原因はなんなのかを知ることが次の、集諦です

 

さて、我々が苦しかったり辛かったりする際、なんでこんなに苦しいんだろう、

 

辛いんだろうと思った時に、ほとんどの人がやることは、この苦しみはあいつのせいだ

 

とかこいつのせいでこんなに苦しいんだ、会社が悪いんだとか世の中がダメだから

 

こんなに辛いんだとかもっとお金がたくさんあればとか、自分にもっと力や

 

能力があればもっと違った人生になっていたのにとか

 

「アレがあれば、これがなければ」

 

というように苦しまなくて済んだのに、幸せに暮らせたのにみたいに思いがちですよね

 

では、願望が実現したら悩みとは無縁の人生になるんでしょうか

 

願いが叶ったとしても、それは一時は楽しくなったり心安らぐわけですが

 

そこからさらに、もっとこうなればああなればと実は、キリがないんですよね

 

仏教では、アレがあるからこれがないからということに苦しみの原因が

 

あるのではなくて、自分の心に原因があると言っています

 

これはいわゆる、「煩悩」ということになります

 

煩悩については以前記事を書いてるので読んで見てください

 

次は、滅諦ですが、苦しみ悩みの原因が滅した安らかな境地、悟りの境地

 

涅槃とも言います

 

ロウソクの火を吹き消すことをインドでニルバーナといい、中国ではこれを

 

涅槃と訳したそうです

 

ロウソクの火を欲の心、怒りの心、妬み、愚痴の心ということで

 

煩悩という炎で表現されており、それを吹き消すというのが、涅槃ということですね

 

これは、煩悩がなくなるという意味ではなく、煩悩で煩い苦しみ悩むことが

 

なくなるということになります

 

では、悟りの境地への道のりはどうすればいいのかということを示したのが

 

最後の動諦となります。

 

長くなったので、動諦に関してはまた次回にすることにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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