日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています

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四聖諦 八正道とは

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今回は、四聖諦の続きになりますが、動諦についてやっていこうと思います。

 

悟りの境地(涅槃)へ至る道のりですね

 

具体的には、八正道というのが教えられています。

 

八正道というのは、悟りを開くために修行をしなさいということです

 

・正見 

 

物事をありのまま正しく見ることを言います

 

この逆を邪見と言います

 

体重計を見て、太ったのを確認しているのに、

 

仕方ないよねとか見なかったことにしようとかこれは気のせいだなとか

 

ありのまま見ないことを邪見と言います

 

・正思唯(しょうしゆい)

 

正しく考え、判断することを言います

 

これは、まず、事実をありのままにみるということができていないと

 

ではどうしようかという発想にはならないので、そこがまず重要になります

 

 

・正語(しょうご)

 

正しい言葉づかいのことを言います

 

逆の言葉は、「お世辞、嘘、非難中傷」などがあります

 

我々は、普段どういう言葉を発しているかというのはとても重要で、

 

普段から乱暴な言葉を使っていると、心もすさんできます

 

大丈夫かなとか困ったなあとかどうしようということばかり言っていると

 

心もやはり心配性になっていきます

 

このように、言葉で何を発しているかが心にも影響を及ぼすということになります

 

・正業(しょうごう)

 

身体でする正しい行いのことです

 

仏教では、業というのは行いのことを言い、三業で、意業、口業、身業が

 

あるというのは他の記事で書いているので、詳しくはそちらを読んでいただきたい

 

と思いますが、ここでは、身体でする行いのことを「業」と呼んでいます

 

具体的には、殺生しない、盗みはしない、淫らな男女関係をしないなどですね

 

つまり、正思唯は心、正語は口、正業は身体ということで、心も口も身体も

 

善い行いに努めてくださいねということになります

 

口や体を気をつける人は多いかもしれませんが、その前に、心があるので、

 

仏教では心を一番重く見ているため、口も体も第一ではありますが、心は

 

どうだろうと目を向けて見ていただく必要があるかなと思います

 

・正命(しょうみょう)

 

規則正しい生活をすることを言います

 

仏教的な本来の意味は、戒律を守っていきなさいということなんですが、

 

お坊さんでない限り、戒律をしっかり守るなんて現実的ではないので、

 

そういう意味で、規則正しい生活をするという認識でいいと思います

 

生活の乱れは心の乱れと言いますが、まさにそれですね

 

つまり、心を正すためには、生活や行動から謹んで行くということになります

 

正精進

 

精進=努力するということなので、努力をしなさいねということになります

 

精進の前に正がついてるので、正しい方向に努力をしなさいねということですね

 

間違った方向に努力するのはダメですよということなので、いわゆる、どんなに

 

努力していても、それが、詐欺行為に注力するとかでは

 

やはりダメということになりますね

 

仏教的には、本当の幸せに向かって努力しなさいということになります

 

・正念(しょうねん)

 

常に仏教の教えを念頭に置いて行動しましょうねということになります

 

みんなやってるからいいよねとか、誰も見てないからいいよねと思いがち

 

ですが、仏教の教えを念頭に置けばこのような行動は取らないかと思います

 

やられたらやり返すとか、悪口を言われたら言い返すとかそういうことも、

 

仏教で言えば、自分のやった行いは全部自分に返ってくるわけなので、

 

当然そういう行いもやれば全部自分に返ってくるわけです

 

・正定(しょうじょう)

 

心を一つに定める、鎮めるということになります

 

一番イメージしやすいのは座禅かなと思います

 

心を鎮める時にやりますね

 

ただ、座禅って、思うほど心は鎮まらないんですよね

 

考えないようにすればするほどどんどん考えますし、見た目は静寂ですが

 

頭の中は大騒ぎだったりするわけです

 

その中で、心を一つに定めましょうと言ってるわけですね

 

これらがいわゆる、八正道というものなのですが、繰り返しになりますが、

 

これは修行するということになります

 

八正道を本気で実践するとなると出家するしかなくなるわけですね

 

そのため、本気で八正道を実践するというよりはどういう考え方で、

 

それが今の生活にどう活用できるかなどを考えて実践していただけたら

 

より幸せな人生を歩める可能性が高まりますよということですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分自身の本質

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大会社の社員になると

 

会社のために生きて

 

その肩書きが

 

自分自身だと勘違いしがちです

 

その「かぶりもの」が

 

自分自身だと思って

 

はずせなくなるのです

 

多くの人は

 

「かぶりもの」を次から次へと入れ替えます

 

会社の「かぶりもの」

 

家庭の「かぶりもの」

 

友達の前では友達の「かぶりもの」

 

とその都度、適当に「かぶりもの」を選ぶのです

 

上手に「かぶりもの」を入れ替えられる人は

 

「自分」とはその都度入れ替わる代物に過ぎないことに

 

かすか気付いているのです

 

 

 

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「かぶりもの」を探し求める

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人は、良い「かぶりもの」を探すことに必死になっています

 

世間で認められた学校や評価される会社に入りたいとか

 

社会的な地位を得たいとか

 

そういうことで必死なのです

 

安定した「かぶりもの」をかぶって

 

安心したいのです

 

「かぶりもの」を

 

自分のアイデンティティにしているのです

 

だから

 

「かぶりもの」に徹底的に執着するのです

 

「かぶりもの」で隠したがる自分を発見するべきではないでしょうか

 

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それぞれが自分の力を出し切る

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勝ち負けを競わないということは

 

それぞれが悔いなく

 

自分の力を出し切るということです

 

運動会の競走で言えば

 

一等になった人は

 

勝ったのではありません

 

それは、自分の能力を発揮したのです

 

最下位の人は

 

負けたのではありません

 

その人なりの

 

自分の能力を発揮したということなのです

 

 

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四聖諦 仏教の全体像を把握しましょう

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今回は四聖諦について語ります

 

四諦ともいうようですが、この諦というのは、もともとインドの言葉で

 

「サットヤ」と言われており「真理」という意味です

 

いつの時代でも、いつの世でも、昔も今も、これからも、どこでも、日本でも

 

アメリカでもヨーロッパでもアフリカでもどこへ行っても変わらないこと

 

このことを「真理」と言います。

 

つまり、四聖諦というのは、4つの真理ということになります

 

ブッダ四諦を悟り、人々に教えたのが仏教と言われています

 

・苦諦(くたい)

 

・集諦(じゅうたい)

 

・滅諦(めったい)

 

・動諦(どうたい)

 

これは、苦しみの原因と結果、幸せの原因と結果を教えたものです

 

苦諦と集諦は、迷界の因果(苦しみ迷っている原因と結果)を教えたものであり

 

滅諦と動諦は、悟界(幸せの原因と結果)、つまり、悟りの世界を教えたものです

 

このことより、四聖諦は、迷悟因果(めいごいんが)とも言います

 

我々が、病気になると熱が出たり、咳が出たり、だるくて身体中が痛いという症状が

 

出たりしますが、風邪を引いてても、自覚がない場合もありますよね

 

なんか今日はちょっと調子悪いなぐらいにしか思ってないような状態です。

 

この状態を四聖諦では苦諦の状態ということです

 

本人に自覚がないことには治療のしようがないわけです

 

ちょっと調子悪いなと思って、仮に病院に行ったとしますよね

 

診察室に呼ばれて、中に入った瞬間に、「じゃあ3日分のお薬出しておきますからね」

 

といきなり薬を出す医者はいませんよね

 

まずは、どうされましたか?と問診から始めるはずです

 

これは何をしているのかといえば、病気の原因を突き止めることをしてる

 

わけですね

 

ここで間違えると、治るものも治らないので、色々聞いてみたり触ってみたり

 

聞いてみたり見てみたり色々するわけです

 

この部分が、四聖諦でいう、集諦の部分になります

 

風などの軽い症状ならいいのですが、聞いたことのない

 

病名を告げられたらかなり不安になりますよね

 

それって治るんですか?と聞いたときに、「大丈夫、治りますよ」と

 

言ったとします。

 

この部分が、四聖諦でいう、滅諦の部分になります

 

そしたら、次は、どうしたら治るんですか?という疑問が湧きます

 

手術しましょうとか、薬を飲みましょうとかそういう治るまでの道を

 

示してくれることを、四聖諦でいう、道諦の部分になります

 

ブッダが悟った真理は、なぜ人は苦しむのかという原因と結果の関係、

 

どうすれば幸せになれるのかという因果の関係、これらを悟って

 

仏教として人々に伝えたわけです。

 

これがいわゆる仏教の全体像となります

 

仏教では、生きることは苦しみであると教えているので、人によっては納得する

 

人もいるでしょうし、人生楽しいと思ってる人からすれば、そんなことないでしょ

 

なんか仏教って生きることに否定的でくらい教えですねという人もいるかと思います。

 

では、なぜ仏教では、生きることは苦しみであると教えているのでしょうか

 

具体的に、その苦しみを3つに分けた、「三苦」をみていきましょう

 

・苦苦(くく) 

 

それ自体が苦しみで、我々が普通に感じる苦しみはこれになります

 

今日暑いなあとか、寒いなあ、お腹が空いたなあ、病気になって苦しいなあ

 

人間関係でこじれてあの人と会うのも嫌だなあとか借金返済とかそういうの

 

諸々ですね

 

 

・壊苦(えく)

 

楽しみが壊れて苦しみに変わることを言います

 

楽しかった嬉しかったこと、好きなことが台無しになって壊れてしまった

 

時に感じる苦しみとなります

 

新車を買ったのに、十円玉か何かで傷をつけられてたとか、失恋とか

 

旅行に行って楽しかったけど、帰ってこなければならないというような

 

楽しい時間が終わるような時、飲み会で大騒ぎして楽しかったのに、

 

帰り道一人ぼっちみたいなのとかそういうのですね

 

・行苦(ぎょうく)

 

世の無常を感じる苦しみです

 

我々が今手に入れてるものなどは、仏教では、無常であると教えています

 

いつまでもないんですよ、続かないんですよということですね

 

どんなものも必ず壊れる、大切な人とも必ず別れがくるなどですね

 

ブッダは、この行苦を感じて悟りを開いたので、これが仏教の始まりとも

 

いえます。

 

人間の最終地点は、すべての人に共通している「死」となります

 

いくら人生が幸せに満ちていても、最後が暗いのであれば、やはり人生とは

 

なんだったんだろうと思ったりするわけですね。

 

そういう意味で、人生は苦しみである生きることは苦しみであると説いて

 

いるわけで、それを認めた上で、ではどうしたら老い、病、死が来ても

 

崩れることのない本当の喜び、人間に生まれてよかったと思える満足、幸せを

 

送ることができるのか、それを仏教で学んで行くということですね

 

これらが苦諦となります。

 

ではその苦しみや悩みが集まる原因はなんなのかを知ることが次の、集諦です

 

さて、我々が苦しかったり辛かったりする際、なんでこんなに苦しいんだろう、

 

辛いんだろうと思った時に、ほとんどの人がやることは、この苦しみはあいつのせいだ

 

とかこいつのせいでこんなに苦しいんだ、会社が悪いんだとか世の中がダメだから

 

こんなに辛いんだとかもっとお金がたくさんあればとか、自分にもっと力や

 

能力があればもっと違った人生になっていたのにとか

 

「アレがあれば、これがなければ」

 

というように苦しまなくて済んだのに、幸せに暮らせたのにみたいに思いがちですよね

 

では、願望が実現したら悩みとは無縁の人生になるんでしょうか

 

願いが叶ったとしても、それは一時は楽しくなったり心安らぐわけですが

 

そこからさらに、もっとこうなればああなればと実は、キリがないんですよね

 

仏教では、アレがあるからこれがないからということに苦しみの原因が

 

あるのではなくて、自分の心に原因があると言っています

 

これはいわゆる、「煩悩」ということになります

 

煩悩については以前記事を書いてるので読んで見てください

 

次は、滅諦ですが、苦しみ悩みの原因が滅した安らかな境地、悟りの境地

 

涅槃とも言います

 

ロウソクの火を吹き消すことをインドでニルバーナといい、中国ではこれを

 

涅槃と訳したそうです

 

ロウソクの火を欲の心、怒りの心、妬み、愚痴の心ということで

 

煩悩という炎で表現されており、それを吹き消すというのが、涅槃ということですね

 

これは、煩悩がなくなるという意味ではなく、煩悩で煩い苦しみ悩むことが

 

なくなるということになります

 

では、悟りの境地への道のりはどうすればいいのかということを示したのが

 

最後の動諦となります。

 

長くなったので、動諦に関してはまた次回にすることにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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すぐれた道とは

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勝ち負けを争うのではなく

 

勝ち負けを超越した道を探すことが大切です

 

すぐれた道とは、それぞれが

 

「自分の能力を発揮する」道です

 

それによって

 

争うことなく

 

自分に適した世界が開かれて行くのです

 

他人と競争して勝ち取る気持ちでいると

 

自分の能力は劣化するのです

 

他人と関係なく

 

自分の能力を思う存分

 

活かすことです

 

 

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大喜びは長続きしない

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それなりに不幸でないと、喜びはないのです

 

お金がなくて食べ物がない、住むところもない人が

 

五千円もらったら大喜びです

 

しかし、大金持ちの人は、何の喜びも感じません

 

歩けなかった人が、歩けるようになったら大喜びです

 

健康な人にはどうってことはないでしょう

 

大喜びは、長く続かず、瞬間で終わってしまうものです

 

そして、また次の大喜びを求めます

 

人間は幸せを嫌がるのです

 

幸せになると退屈でたまらないし

 

大喜びが訪れないからです

 

 

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