日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















ここまで違う!?言語道断の言葉の意味

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今回は、言語道断です。

 

言語道断といえば、一般的には

 

言葉で言い表せないほどひどいことや、

 

もってのほか悪いであるとかこのような

 

意味で使われることが多いかと思います。

 

いわゆる、ほんの些細な言い訳すら

 

できないような悪いことをしたという

 

ようなイメージが強いかと思います。

 

ただ、仏教で言われる言語道断というのは、

 

悟りの境地というのはとても言葉では

 

言い表せないという意味で使われています。

 

つまり、一般的に使われていることと

 

全然違うんですね。

 

言語=言葉、道=伝える手段、

 

断=できない、ということを表しているので、

 

とても言葉では言い表しきれない、

 

言い表せないものだということですね。

 

こんな話があります。

 

あるところに和尚さんと小僧がいました。

 

冬の寒い日に、炭が満タンになった

 

火鉢を運んでいました。

 

その時、つまずいてひっくり返して

 

しまってその炭がすね足に落っこち

 

てきてしまい、あっちぃーって思わず

 

叫んでしまいました。

 

それを聞いた和尚が熱いとはどういう

 

ことか説明してみよと言いました。

 

熱いとはどういうことかと説明せよと

 

言われても熱い以外に言いようが

 

ありませんので、困ってしまいました。

 

和尚が、その熱いがどういうことか

 

説明できんようでは寺の小僧とは

 

いえんぞといってきたので、小僧は

 

残った炭火を和尚にふりかけました。

 

すると和尚はあっちぃと叫びました

 

そこで小僧は、和尚さん、熱いとは

 

どういうことか説明してくださいよ、

 

それぐらい説明できないようでは寺は

 

務まりませんよと反撃したそうです。

 

こんな、熱いということでさえも

 

言葉にするのは難しいことです。

 

ましてや悟りの境地というのは

 

とても言い表しようのないものです。

 

さらに、お経の中にこんな話が

 

伝わっています。

 

維摩という人物がいました。

 

お釈迦様の弟子ではないのですが、

 

仏教を熱心に聞き求め、仏教に対する

 

理解も非常に深い、出家者ではない

 

のですが、在家の人で熱心に聞いていた

 

人ということで、居士という風に

 

仏教では言われています。

 

かなりお金にも恵まれていたセレブな人

 

だったわけなんですが、この維摩という人

 

がある時、病気になりました。

 

ブッダはそれを聞いて弟子たちに、

 

維摩のお見舞いに行くように命じましたが、

 

それを聞いた弟子たちの中で、

 

私がお見舞いに行きますという人が

 

いなかったそうです。

 

なぜかというと、この維摩という人は

 

弟子たちといろいろなやりとりを

 

して結構弟子たちがやり込められて

 

いたわけです。

 

そういうこともあり、維摩のところへ

 

行くと何を言われるかわからないと

 

いうことで、いろいろな理由をつけて

 

行きたくないという感じでした。

 

最終的には文殊菩薩という人が見舞いに

 

行くことになりました。

 

この文殊という人は、3人寄れば

 

文殊の知恵というあの文殊ですね。

 

知恵を表す菩薩と言われて知恵が

 

優れた人でした。

 

そして、維摩のところへ行き、

 

いろいろな問答、対話、質疑応答を

 

いろいろ繰り返すような内容が

 

お経の中に説かれているわけです。

 

その中で維摩が、悟りの世界、

 

悟りの境地はどういうものなのか、

 

どうすればそこに至ることができるのか

 

と尋ねました。

 

それに対していろいろな菩薩たちが

 

答えて行くわけですが、それを総括して

 

文殊菩薩が最後に、故にこの深い悟りの

 

境地というのはまたどうすれば

 

その世界に至るのかということは

 

とても言葉では言い表すことのできない

 

ものであり、説明できるものではないし、

 

思い浮かべることさえもできないと

 

言いました。

 

で、維摩、あなたはどう思うのだ?と

 

文殊菩薩が聞き返しました。

 

すると、維摩は何も語らなかったそうです。

 

それを見て文殊菩薩は、さすが維摩だと

 

感心したそうです。

 

黙っていたのは、言い表すことが

 

できないということを表した行動で

 

あるということですね。

 

これはかなり有名なやりとりな訳ですが、

 

この深い悟りの世界、境地というのは

 

本来なら言い表せないもので

 

あるということです。

 

仏教と聞くと、難解であるとか難しいと

 

思われがちなのですが、それは、

 

もともとこういう深い世界を追求する

 

考え方をしているためかなり難解であり、

 

それをいかにわかりやすく説明する

 

かのためにお坊さんや僧侶などが

 

いるということですね。

 

 

 

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