日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















日蓮仏法 十界論 【六道輪廻】

 

これら、6つの

【地獄界】

【餓鬼界】

【畜生界】

【修羅界】

【人 界】

【天 界】

 

は、我々日常生活の中で様々な形で

 

現れてきます。

 

例えば、一般的にも、通勤地獄という

 

言葉があります。

 

身動きができずにどうすることも

 

できない苦痛が続き、

 

それ自体に苦しみを感じていれば

 

その生命境涯は地獄界という

 

ことになります。

 

遅刻してペコペコ謝るその腹いせに

 

後輩を怒ればそれは畜生界の

 

生命境涯ということになります。

 

リラックスしてホッと一息、

 

コーヒーなどを飲んでのんびりするような

 

生命境涯は人界の働きとなります。

 

人と争い、人の足を引っ張ったり

 

するような状態は修羅界となります。

 

苦労して契約が成立、この時は

 

とても嬉しいものです。

 

天界の生命境涯となります。

 

しかし、天界は長続きしません。

 

転勤、移動などを命じられれば

 

天界から一気に地獄界へ

 

やけ酒などを煽るような状態は餓鬼界

 

飲んでも飲んでも心が満たされないわけです。

 

このように、普段の1日をみても

 

6界の世界が絶え間なく変化している

 

ことがわかります。

 

これを

 

【六道輪廻】

 

と言います。

 

これらの生命に共通するのは、

 

自分の外の状態に左右されるという

 

ことです

 

たまたま欲望が満たされた時は天界

 

ライバルがいれば修羅界

 

嫌な上司がいれば畜生界

 

というようにめまぐるしく変わっていきます。

 

この環境に左右された苦しみから

 

もっと主体的に幸福な

 

境涯を得ていこうとする考え方が

 

仏法の教えとなります。

 

仏法の本当の教えはこの6界を

 

越えようとするところから

 

始まるということになります。

 

このように受け止める意味というのは、

 

この輪廻を認識して

 

こんな世の中は嫌だなと思うのではなく、

 

この境界はさらに

 

開いていけるんだと考えることが

 

重要になります。

 

もちろん、世の中には、この六道輪廻だけで

 

十分ですという人も

 

世の中にはいるかと思います。

 

天界もあるわけなのでこれで十分ですよ

 

という人もいると思います。

 

実際は、それで十分ではないということです。

 

それは、天界の喜びを得ること自体は

 

いいことだと思います。

 

この喜びが自分の成長のバネになるので

 

あればそれはとてもいい

 

喜びということになります。

 

逆にいうと、苦しみも、それ自体が

 

成長のバネになるのであれば

 

同じくいいことと言えます。

 

そういう生命論、境涯論、

 

哲学がないと自分の内面の価値観

 

がないと、本当のいい人生というのは

 

得られません。

 

これが六道輪廻ではいけない理由になります。

 

 

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