日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















才能も能力もなく、容姿も劣っています。わたしは不運な星の下に生まれているのでしょうか?





 

【コンプレックスを個性にしてしまう】

 

仮に、人より容姿が劣っていたり、頭が悪かったとしても、

 

それは個性であって、人間的に劣っていたり、価値がないと

 

いうことではありません。

 

つまり、決定的な違いではないということです。

 

個性に差があるのがどうして不運な星の下に生まれたことになるのか、

 

理屈がわかりませんね。

 

そんなことを言い出したら、幾つ「星」があっても

 

足りない人がたくさんいるんじゃないでしょうか

 

自分のコンプレックスに必要以上に悩まないことが重要です。

 

かといって悩んでいる人に「悩むな」といっても

 

なかなか通用しないかもしれません。

 

なので、ここはやはり、どこか一つでも自分のいいところを自分のために

 

見つけてやることがいいんじゃないかと思います。

 

どんな人にも、必ずいいところ、人にはない優れたところがあります。

 

必ずあります。

 

それだけは絶対です。

 

なぜなら、自分がこの世にいることそれ自体が、

 

必ず誰かのためになっているからです。

 

では、「誰か」とは誰か?

 

自分を愛情を持って育ててくれた親がそうだし、友達もそうです。

 

何か仕事をしていれば、お客さんや相手の役に立っているでしょうから

 

お客さんだってそうです。

 

そのことが大事なわけです。

 

自分がいることが他の人の存在を助けている。

 

自分が他の人の縁になる。

 

言い方を変えれば、自分がここにいるのも、

 

他の人に支えられているわけですね。

 

確かに、頭は悪いかもしれません。

 

顔もそこそこで、性格も暗く、あまり周りを明るくはできないかもしれません。

 

でも、自分が生きていくためには、何かをしなければいけないわけで、

 

そのことが必ず、人のためになっているはずなんです。

 

だから、「何もいいところがない人」なんて、世の中にはいないんです。

 

そもそも、コンプレックスを持つということは、何かと比較してそう感じるわけです。

 

つまり、「自分が憧れるあるべき姿」だったり、「他の人」だったり、

 

色々なものに対して比較して、自分が劣っていると思ってしまう。

 

だからどうしても他人の庭を見たり、自分の理想像と比べたりして、

 

それとのギャップを感じてしまいます。

 

でも、どんなに背伸びをしても、等身大の自分から身長が伸びるわけはありません。

 

いくら頑張っても、他の人になれるわけではないです。

 

それに「頭が悪い」とか「顔が悪い」とか「色が黒い」とか「身長が低い」とか

 

自分はものすごく気にしていても、人から見たらどうでもいいことだったりします。

 

人は他人にそれほど興味はないんです。

 

だから、自分が気にしなければ、コンプレックスじゃないわけです。

 

自分にはコンプレックスでも、人から見たら個性に見えていることもあり得ます。

 

ならば、コンプレックスを個性にしてしまえばいいわけです。

 

それを売りにしてしまえば、運、不運と気にすることもなくなると思います。

 

 





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