日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















どうしても許せないと思ったことを人にされたら、どうしたらいいですか?

【救われる道は、相手を許すこと】 戦争で親を殺されたり、子供をさらわれたり 世界には憎んでも憎みきれない出来事が実際に起きています。 絶対に許せない!!という気持ちはもちろんわかりますよね。 私たちの身の回りでも、「許せない」と思うことは度々…

才能も能力もなく、容姿も劣っています。わたしは不運な星の下に生まれているのでしょうか?

【コンプレックスを個性にしてしまう】 仮に、人より容姿が劣っていたり、頭が悪かったとしても、 それは個性であって、人間的に劣っていたり、価値がないと いうことではありません。 つまり、決定的な違いではないということです。 個性に差があるのがどう…

チャンスに恵まれるようになるにはどうしたらいいでしょうか?

【物欲しそうに動いてはいけない】 何かを願うことと、手に入れることは違います。 何かが欲しくて手に入れようとすればするほど、 チャンスは逃げていく気がしますね。 だから、これが欲しいと思ったら、そのためにきちんと努力して、 気が熟すのを待つしか…

神様や仏様がいるなら、なぜ不幸な災害や事故でなくなる人を救えないのでしょうか?

【寿命が尽きれば、どんな命も亡くなる】 東日本大震災が起きた時、被災した日本のカトリック信者の女の子が ローマ法王に質問したそうです。 「なぜ子供もこんなに悲しい思いをしなくてはいけないのですか?」 それに対する法王の答えはこんな答えでした 「…

相手に判断を委ねる

ブッダの説法は 「そのようなことをするのは、 こういう理由で良くないし、 悪い結果が出る このようなことをすれば こういう理由で 良い結果が出る」 と、あくまで説示するだけです 「法則、真理」を示し 「どうだろうか」 と相手に判断を委ねます 相手は自…

直ちに苦しみから解き放つ説法

ブッダの説法には その場で直ちに人々を苦しみから 解き放ってしまうほどの力がありました ブッダは、 悩み 苦しみ について説き 悩みそのものをなくす実践方法を示されたのです ですから 聞いた人はたちまち幸福になったのです 大富豪でいい暮らしをしてい…

ブッダは信仰の対象ではありません

大乗仏教には 大日如来 阿弥陀如来 お地蔵様 観音さま など、無数の如来・菩薩がいます 彼らは、超人的な力を持って 人々を救うと約束する 「救済者」です 我々はそれらの仏様をひたすら信仰して すがる以外ありません しかし、本来のブッダ(御釈迦様)は …

如来の定義

如来は パーリ語で「タターガタ」と言います 「タターガタ」には二つの意味があります 一つは、真理に達したという意味 もう一つは、真理から来たという意味 そして、ブッダ自身で、「タターガタ」の定義をしています 自分が他人に説くのは 全て自分が行なっ…

ブッダが歩んだ道は模範となる

ブッダは 私たちの偉大なる師匠であり 慈愛をたたえた母親のような存在と言えます ブッダが歩んだ道は 私たちの模範になるのです ブッダは 雲の上の人ではありません 人間として生まれて 人格を完成した人なのです どんな悩みに対しても ブッダは見事に答え…

勉強だけでは頭が悪くなる

勉強すれば 「頭が良くなる」 と思われていますが 勉強するとかえって 「頭が悪くなる」 場合もあります 世間では 勉強と称して 「何のためか」を考えず 情報や知識をやみくもに 詰め込んでいます 役に立たない知識で 頭が雑然とするばかりで 結局、何も理解…

自由の真実を知りましょう

「捨てる」ということは 「何物にも依存してい」 ということです それは単に ものに頼らないことだけではありません 神であろうが 仏であろうが 全く 何物にも依存しない生き方なのです それが 真の自由ということです

適量を知れ

本を読むのは 喜びを感じるため 楽しみのためと 理解していれば リミットを守って 依存症にはなりません 飲まず食わず 本を読みっぱなしとはなりません 結果が出たら終わります 体を維持するために 食べているのだと 知っている人は 適量の栄養をとったとこ…

諸行無常とは

諸行無常の、「諸行」とは、全てのものという意味です 「無常」とは、常が無いと書いてある通り、変わり続けるということなので、 諸行無常とは、全てのものは変わり続けるという意味になります。 大事にしているものでも、ずっとその状態が続いてくれればい…

依存に気がつくことが一番大事

依存はいけないのでしょうか 依存は 完全に断つことができないことです そもそも 生きること自体が依存なのです だから 依存からは 決して逃れられません 怖いのは 依存に気づかないと 依存症に陥って 危険だということです 食べ物に依存すると 健康を壊しま…

依存に気がついてる人と気がつかない人の差

「これは依存なんだ」 「今自分は依存している」 とわかってやることと わかっていないこととは 大きく違います 依存していることを しっかりと理解していると やりすぎにはなりません 問題は起こりません 依存していることを 知らないでやる人は ますます依…

命がけでやるとは?

よく 「命がけでやります」 「必死でやります」 という人がいます では聞きます あなたは そのことに そこまで依存しているのでしょうか 本当に 命をかけるほど 価値のあることに 挑戦しているでしょうか 自分の依存症を 誤魔化してはならないのです

いいことも悪いことも依存した結果は・・・

お酒や賭けごとに 依存するのは 悪いと、決まってますが 「いいこと」 に依存していることがあります それはどうでしょうか 例えば ボランティア活動 平和活動 地域活動 などは、いいことです しかし いかに「いいこと」でも それに依存すれば やはり自分を…

人生の歯車

私たちが依存するものは 酒 金儲け 仕事 賭けごと おしゃべり テレビ など、限りなくあります 酒や賭けごとに依存するのが よくないことは、誰にでもわかります けれども、 ブランド 健康食品 読書 インターネット などに依存しているかもしれません それが…

依存症のキャリア(保菌者)

私たちは みんな何かの 「依存症」 にかかっていると言えます 今は依存症でなくても 次の瞬間に 依存症にかかることもあります いわば 依存症のキャリア(保菌者)なのです

お釈迦様はミニマリストだった?

完璧に勝利を得る道とは 「何かを得る道」 ではなくて 「ものから離れていく道」 なのです 離欲の道には完成があるのです 本当に充実するためには ものはいらないのです 足りないから満たそうとするのではなく、 ものがいらないということで 心を満たす道が…

人は体の奴隷であり心の奴隷である

自分の思うようには 心も体も動いてくれません 体は 「ああしろ、こうしろ」 と、自分に命令します 「はい、わかりました」 と、体の奴隷になって 従わなくてはいけません 心も命令します 「決して怒らない」 と言っても 怒るときには怒ってしまいます 「悩…

所有物に支配される自分

多くの人は、 「自分には子供がいる」 「財産がある」 「名誉がある」 「地位がある」 と思って、主人気取りでいるのです しかしよく見てください 「自分のもの」 と思っていても それによって、 自分が支配されているのです 自由が失われているのです 子供…

現世利益は苦しみに達する道

ブッダは この世は 「現世利益に達する道」 であり、それは 「苦しみの道」 であると説きました ブッダの示された道は 「現世利益に達する道」 ではなく 「涅槃(永遠の安らぎ)に達する道」です 利得を追っていたのでは いつまでたっても心の平安はありませ…

ずっと燃え続ける炎

私たちは 「あれが欲しい、これが欲しい」 「まだ足りない」 と走り回っています 欲を満たしたかと思うと またさらなる欲が出てきます いつまでたっても 満たされる事はありません まるで ずっと燃え続ける炎のようなものです 欲を満たそうとする事は 燃え続…

足るを知る

私たちが苦しむのは 欲が多いためです 欲に振り回されているのです 仏教では 「少欲知足」 を説きます 欲を少なくして 足るを知るのです そのためには どうしたらいいでしょうか まずこの無限の欲を 具体的な欲求に落としてみるのです 例えば いくらお金があ…

究極の楽しみを得る道

仏教は 「捨てる道」 を教えます そういうと 「仏教を実践したら、楽しみがなくなってしまう」 と思うかもしれません しかし 仏教の実践とは 楽しみを得るためにあるのです 捨てられずに 執着する人は 苦しみを感じているのです 執着を捨てた人は 究極の楽し…

影が体の後をついてくる

喘ぎながら荷車を引く人と 楽々と荷車を引く人の違いは 執着するかしないか にあるのです 執着が強いと 巨大で重たい荷車を引いているような人生になります 執着が少ない人は 職場や家庭にあっても どこにいても生きる重さを感じる事はないのです 影が体の後…

アクセス数100到達

ついにアクセス数が100超えました。 ある時からなんかいきなりアクセス数が増えてそのまま安定した感じ でしたが、なかなか100を超えませんでしたが、本日ようやく 超えました。 これからもしっかり勉強してアウトプットしていこうと思います。

荷車を引いて生きるような人生

私たちの人生とは 荷車を引いていきているようなものです その荷車とは 仕事や家庭や生きる重さです 同じ重さの荷物であっても 人によって 喘ぎながら荷車を引く人もいれば 楽々と荷車を引く人もいます この違いは 心に執着があるかないかなのです

悟った人は・・・・

悟った人は 全てのものが無常である事を実感して生活します だから 何も貯める事はありません 心に何の不安もありません 食事さえも 体を維持するために必要な量だけに限ります 鳥が空に足跡を残さないように 悟った人の行方にも 足跡はないのです

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