日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















実は仏教用語だった「退屈」

今回のテーマは、退屈です。

 

もともと、仏教では退屈とは

 

本来使われる退屈の意味ではない

 

んだそうです。

 

本来の退屈の意味は、厳しい修行に、

 

「退」退く「屈」屈するということで、

 

厳しい修行についていけず退き屈する

 

ことをいうんだそうです

 

これが、今は、暇だなあとかやること

 

ないなあとかそういう意味で使われています。

 

それほど、悟りを求めた厳しい修行は

 

簡単なものではなく、挫折するものも

 

多かったということです。

 

非常に初歩的な修行であっても、我々は

 

忍耐力がなかなかないので、満足に

 

できない

 

例えば、「無言の行」という喋っては

 

いけない修行があるそうです。

 

かなり初歩的な修行の一つのようです。

 

まあ、ただ喋らないというだけなので、

 

非常に簡単な修行と言えます。

 

4人僧侶がいたとします。

 

彼らは無言の行をしています。

 

夜中に始めたので、ろうそくに火を

 

灯し火の番をするために小僧がいました

 

夜遅いということもあり、小僧は

 

ついついウトウトし始めてきました。

 

そうしてるうちに、ろうそくはどんどん

 

溶けていきます

 

時間とともに火がいつ消えても

 

おかしくない状況になってきました。

 

すると、4人の僧侶は心の中で

 

「小僧、寝てる場合じゃないぞ」とか

 

「火が消えてしまうじゃないか」とか

 

ハラハラしながら見てます。

 

そうこうしてるうちにいよいよ火が

 

消えかかっていたため僧侶の一人が

 

つい言ってしまいました。

 

「おい、小僧。起きろ!!火が消えて

 

しまうぞ」

 

それを聞いたもう一人の僧侶が

 

「おい、無言の行の最中だぞ」と言って

 

しまいます。

 

それを聞いたもう一人の僧侶が

 

「そういうお前も喋ってるじゃないか」

 

と言ってしまいます。

 

そして、最後の僧侶が、「結局最後まで

 

喋らなかったのは俺だけだな」と

 

言ってしまいます。

 

つまり、誰一人無言ではいられなかった

 

わけですね

 

このように、喋らなければいいという

 

簡単な修行だったわけなんですが

 

その程度のこともやはり実行するとなると

 

やり遂げるのは難しいんだなという

 

お話でした。

 

ましてや仏の悟りを目指してもっと

 

厳しい修行に打ち込んで行くとなると

 

そうそう簡単なものではないということです。

 

お経の中には、煩悩を全て克服して

 

仏の悟りに至るまでの期間として、

 

「三阿僧祇劫」(さんあそうぎこう)

 

かかるとも言われているそうです

 

一劫とは、100年に一度天から

 

天女が降りてきて羽衣を岩山に

 

すっと擦り付けるのを繰り返し、

 

岩山が摩擦でなくなってしまう

 

までの期間(4億3千200万年という

 

説もあります)

 

阿僧祇とは数字の単位

 

阿僧祇=10の56乗

 

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