日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















実は仏教用語だった 【邪魔】

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今回のテーマは邪魔です

 

この邪魔という言葉は実は仏教から

 

きています

 

通常、邪魔とは妨げになるものなのですが、

 

仏教でも同じ意味で、使われています。

 

この言葉は、ブッダの修行中の

 

エピソードからきていると言われている

 

そうです。

 

ブッダはもともとシッダルダ大子と

 

呼ばれていましたが、シッダルダ太子のとき

 

は、この世の色々な楽しみ喜びを

 

得ていたのですが、歳をとって病気に

 

なって死んだ時には何も持っていけない、

 

続かない喜びではないだろうかと

 

思い始めたわけです

 

どこかに本当の変わらない喜びや幸せ

 

というものがあるんだろうかということで、

 

29歳の時に、城を出て本当の幸せを求めて

 

悟りを求めて山奥へ入っていき、

 

厳しい修行を行ったそうです。

 

その間は六年と言われています。

 

ところが、この肉体の限界まで

 

追い詰められて厳しい修行にうちこんで

 

いたわけですが、それでも悟りは

 

得られなかったわけです。

 

このまま苦しい修行を続けていたらこれで

 

命を落としかねないということで

 

方向転換しました。

 

智慧によって悟りを得ようと思い、

 

菩提樹という木の下に座って悟りを

 

得るまではここから立たないと強い

 

決心をして修行をしていきます。

 

すると、その心の中にある弱い心が

 

悪魔に姿を変えて、誘惑となって

 

修行の妨げを始めたわけです

 

これがいわゆる、邪魔というものに

 

なります

 

城に戻れば快適な生活が待ってるぞ

 

とか

 

美女が太子さん一緒に遊びましょと

 

言ってきたり

 

とか

 

お父さんお母さん、妻や子供が待ってますよ

 

とか

 

お前には悟りは無理だ

 

とか

 

どうせできっこないんだから諦めてしまえ

 

とか

 

こういう弱い心が様々な誘惑や

 

引き止める心となって現れて悟りを

 

求める心を妨げようとしたわけです

 

しかし、シッダルダ太子はその邪魔、

 

つまり悪魔の心を一切を克服し35歳の

 

12月8日に仏の悟りを開いたと

 

伝えられてます。

 

普段も、小さな目標でもそうですが、

 

特に、大きな目標に向かって進んで

 

行こうとすると、やはりこの邪魔が

 

入ることが多く、反対する人たちとか

 

足を引っ張ろうとする人とか外部の

 

妨げるものももちろんありますが、

 

やはりその一番はその内側の、

 

自分自身の心に妨げるものというのが

 

一番強くあるということになります。

 

ブッダでさえもそういう心があって

 

妨げられたわけなので、我々なら

 

なおさらってことです。

 

誰もやったとこ無いんだから無理に

 

決まってるよとかどうせお前には

 

できないよとかこれをやって

 

何になるんだろうかとか諦めてしまおうか

 

とかそういう色々な心が出てきます。

 

外部の人たちに妨げられるというのも

 

そうなのですが、やはり一番は自分自身

 

の心ということです

 

最大の敵は自分の心ということです

 

昔から言われるのが、

 

山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し

 

外部の攻撃は、頑張ればどうにかなる

 

けれども、自分の心、諦める心とか弱い心、

 

誘惑に負けそうになる心にどのように

 

攻略したのか、ブッダはどうやって

 

克服したのかというと、悟りを得るまでは

 

立たない、目的を遂げるまでは

 

何があっても動かないという固い決心をし、

 

強い思いが妨げに打ち勝って目的を

 

果たしたということになります。

 

 

 

 

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