日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

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仏教雑学 【煩悩】 怒りの心

今回のテーマは、煩悩の怒りの心となります。

 

昔も今も、怒りを表す表現や言葉というのは多いです。

 

腹がたつ、キレる、イライラする、ムシャクシャする、カッとなる、

 

逆上する、激怒する、苛立つ、などなど

怒りの心でカッとなって言ったことややったことは、

 

だいたいいい結果にはなりません

 

信用を失ってしまったり、大切な人を失ってしまったり、

 

 

大事なものを失ってしまう、人生を棒に振ってしまうような人もいます。

 

犯罪などでも、怒りでカッとなってやってしまったみたいな事件も

 

後を絶ちません

 

昔から、怒りというのは「無謀に始まり、後悔に終わるもの」と

 

言われています。

 

無謀なので、計画なしに怒りは始まり、結局後になると、

 

何であんなことしてしまったんだろう、言ってしまったんだろうと

 

後悔をしてしまうことばかりだと思います。

 

なので、腹が立ったら数を数えなさいと昔の人は言ったそうです

 

頭に血が上って言ったことはだいたい後悔するので、

 

冷静になるために間を置きなさいということです

 

こんな怒りの心なのですが、そもそも怒りというのは

 

どこからやってくるのか、源や原因とは何なのか

 

仏教では、怒りの原因というのは、欲が妨げられて出てくるとされています

 

例えば、自分の並んでた列に横入りしてきた人がいたら腹が立ちますが、

 

隣の列に割り込んでる人を見た場合はあまり腹は立ちません

 

起こった事柄が同じであっても、それが自分の欲を妨げられるか

 

そうでないかで、怒りというものは出るかでないか分かれます

 

我々が腹をたてる、怒るというのは自分の欲が妨げられることで

 

出てくるわけです

 

つまり、怒りをなくすためには、欲を無くさなければなくなりません。

 

欲は無くならないので、怒りも亡くならないのかな?と思いますよね

 

もし怒りを感じた時は、自分の何の欲が妨げられたんだろうと

 

ふと考えてみるのも面白いかもしれません

 

それを考えることで、自分はどうしたかったのか、

 

どうして欲しかったのか、自分の本当の気持ちを

 

怒りを通して知ることができます。

 

そうすると少しは怒りが和らぐかもしれません

 

さて、少し視点を変えた時に、怒りというのは

 

こういう時にも湧き上がってきます。

 

自分はこんなにやってる、こんなに尽くしてるのにという思いで

 

怒りが出てくることがあります。

 

主婦などではこの怒りがよく言われてるそうです

 

周りから見ると、なんでそんな些細なことで怒るのか、

 

例えば、家庭で言えば、靴下を脱ぎっぱなしだったりしたみたいな、

 

靴下一つで大げんかになることもあるかと思います。

 

この一部分だけ見ると、何で靴下のことだけでって思うかもしれませんが、

 

これに関しては、靴下はきっかけであり、それ以前に不満が

 

溜まりに溜まっていて、怒りのきっかけが靴下だったというだけのことです

 

怒っているときは、自分が正しくて相手を悪者としているわけなんですね。

 

自分が間違ってて相手が正しいとわかっていれば腹は立ちません

 

「こうあるべきなんだ」という思いが強い人ほど、イライラしやすいわけです

 

当然、相手は相手で、自分が正しいと思っています。

 

戦争にしても喧嘩にしても、お互いが正しいと思っているから

 

こそぶつかるわけなんですね。

 

そこで、喧嘩になって、お互いに嫌な気持ちを残して離れてしまう、

 

こういうことを思うと問題解決はどうしたらいいんだろうと考えますよね

 

「自分が正しい、間違ってない」という思いがあるとぶつかってしまうので、

 

「自分はいつもいつも正しいのだろうか?」という視点に立つことが

 

まず重要となります。

 

仏教にはこのような言葉があるそうです。

 

 

謗るまじ

たとえ咎ある人なりと

我が過ちは

それに勝れり

 

謗る(そしる)というのは批難するという事

 

謗るまじなので、批難しないで下さいねということになります。

 

咎ある人というのは、過ちや失敗をおかした人

 

つまり、批難しないで下さいね、過ちや失敗をした人も、

 

自分のおかした過ちというのはそれ以上だったりするんですからということです

 

自分の過ちを忘れて、相手ばかりを非難しがちなんですよね。

 

他人を批判するのはいいのですが、そういう自分はどうなんだろうと

 

考えることで、相手の立場で考えることができるようになるわけです

 

 

 

 

 

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