日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















仏教雑学 信心(しんじん)の驚く本当の意味とは

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今回のテーマは、信心です。

 

信心と聞くと、特定の宗教とか、

 

神とか仏とかそういうのを信じている人の

 

ことで、あまり普通の人には縁の

 

なさそうな言葉に感じるかもしれません。

 

確かに、特定の宗教や仏や神を信じるのも

 

信心ですが、「心で何かを信じている」

 

というのが信心なので、何も信じないで

 

生きている人っていないと思います。

 

そういう意味では、すべての人は信心を

 

持っていると言えます

 

体調が悪くなったら、病院に行きます。

 

そうすると薬を出してもらうことが

 

多いでしょう

 

病院に行って出された薬だからと我々は

 

簡単に信じて飲みます。

 

それが毒薬だったらどうしようなんて

 

まず思わないわけです。

 

いちいち成分を調べたりして疑って

 

飲むことはしません。

 

飛行機に乗る場合は、墜落しないでちゃんと

 

目的地までいけると信じて乗るわけです。

 

信じることができなければ当然飛行機

 

なんて乗れません

 

こう考えると生活すべてがそうですね。

 

スーパーで買ってきたものなどは

 

なんの疑いもなく食べますよね

 

そう考えると、信心は誰もが持っていて

 

すべての人の関係のある言葉ということ

 

になります。

 

なので、特定の何かを信じているだけ

 

ではなく、我々は何かを心の支えとして

 

頼りとして信じて生きているわけです。

 

でも、その信じていたものに裏切られて

 

しまうと、信じたものが頼りにならなく

 

なってしまうと、苦しむことになります。

 

信じていたのに、こんな人だとは

 

思わなかったとか色々裏切られたときに

 

苦しみます。

 

深く信じていればいるほど、それが

 

あてにならなくなった時に折れてしまった

 

時に苦しみや怒り、悲しみ辛さというものが

 

すごく大きくなるわけです。

 

なので、我々は何かを信じなかったら

 

信心を持たなかったら生きては

 

いけないんです。

 

何かを信じて生きていくというのは

 

すごく大事なことです。

 

何を信じたらいいんですかという問いに

 

ブッダはこのように答えます。

 

「法を信じて生きなさい」

 

もちろんその一人一人色々なものを信じて

 

生きていけばいいのですが、

 

そのうちあてにならなくなってしまう頼りに

 

ならなくなってしまうものだけを

 

信じていたら我々は苦しむことになるので、

 

法というものは

 

「いつでもどこでも変わらないすべての

 

人を幸せに導く真理」

 

のことです。

 

ブッダの教えですが、いつでもどこでも

 

変わらない法を頼りとして心の支えとして

 

生きて生きなさいよと仏教では言われてます。

 

 

 

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