日蓮仏教の勉強 幸せに生きる為の方法を学ぶ

法華経を中心に仏教の勉強をしています















仏教とは宗教なのか、学問なのか、その謎に迫ります。

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仏教とは学問なのか、宗教なのか

 

仏教は、論理的で理性的な教えなので、宗教というよりは学問、

 

哲学ではないかと思われることが多いかと思います

 

学問と宗教は真逆なものであると一般的には思われているかもしれません

 

ガリレオの宗教裁判が有名ですが、宗教で真理とされていたことが学問、

 

科学の発展進歩によって否定されてきたという歴史があるわけなので、

 

学問と宗教は対立概念のように見えるのはまあ普通かもしれません

 

宗教というのは、訳のわからないものをとにかくそうなんだと疑わないように

 

信じ込みましょうというようなもの

 

学問、科学というのは論理であり理性ですね

 

まず、なんでそうなったんだろうという「問い」が出てきます

 

そして、なるほど、そういうことかという「学び」を深めていく、

 

これがいわゆる「学問」というものですね

 

一つの結果があったとしたら、なんでこれはこんな結果になったんだろう

 

つまり「果」ですね

 

わからなければその原因を究明していきます

 

すると、なるほど、そういうことかという原因を知ることになります

 

つまり「因」ですね

 

こういう原因があってこの結果なら、そりゃそうだねという必然で起きたことが

 

わかります。

 

つまり結果から原因を知り、原因から結果を推測する

 

こういうものをいわゆる、学問と呼ぶ訳です

 

では、宗教とは何か

 

我々が生きていく上で、わからない結果が起きたときに、

 

それが人の力を大きく超えたもの、つまり、災害とかそういうものですね、

 

その原因を、神の仕業なんだ、霊の仕業なんだ悪魔の仕業なんだと

 

そういうことをいうのが宗教と言われてます

 

昔は科学が発展していなかったので、わからないことだらけだった訳です

 

わからないことがあれば全て神とか霊とか悪魔のせいにしていた訳ですね。

 

今は学問が発展してきているので、例えば雷がなぜなるのか、

 

どういう仕組みで光るのか、なぜ発生するのかなどはわかるようになりました。

 

雷がなって、神が怒ってるなんて誰も思わない訳です。

 

こうやって学問が発展していけばいずれは宗教はなくなるのかというと、

 

実際はそうではありません

 

なぜなら、我々が一番知りたい因果関係を科学では絶対に解明できないからです。

 

その最たるものが、「運命」ですね

 

運のいい人悪い人などと言われますが、この運命によって起こった結果、

 

この原因はなんなのかをいくら学問で突き詰めていってもおそらく

 

わかることはないでしょう

 

例えば、雷がなんでなるのか、なんで光るのか、雷が落ちる仕組みなどは

 

わかるでしょうけど、それがあの人に落ちて大怪我をしたとしたら?

 

なんで他に人がいたのに、俺に落ちてきたんだ、私に落ちてきたんだと

 

いうことはわからないと思います。

 

つまり、学問だけではどうにも解明できないものが残るため、

 

それに関しては宗教のフィールドになる訳です。

 

運頼み神頼み、今日の運勢とかみんな大好きですよね

 

運が良かった悪かったなどに原因なんてないんだ、といってしまったら、

 

人間は基本的には幸福になりたいのに、そういう不運の原因が

 

わからなかったら防ぎようがないですよね

 

行動の起こし方も何もわからない訳です

 

でも、どうしても知りたい

 

結果、どうにもわからないものは、神が与えた試練だとか

 

霊や悪魔のせいにしてお祓いをしてもらったりとかする訳なんですね

 

こうやってすがる気持ちがある以上は宗教というものは絶対に

 

なくならないということになります

 

さて、ここからが本題になりますね。

 

仏教はこの、「運命」をどう捉えているのか

 

仏教は、運命は神や霊や悪魔などで決まるわけではないといっています

 

では何で決まるのかというと、「業」で決まるとされています

 

つまり、結果の原因が業であるということです

 

何を思っているか、何をいっているか、どんなことをしているか、の行いが

 

運命を引き起こしているんだと教えているのが仏教です

 

宗教というのは「宗(むね)」となる「教え」と書きます

 

この、宗とは家の中で示すと書いて宗な訳ですが、いわゆる、

 

幸せになるためのコンパスみたいなもので、不幸にならないようにするには

 

どうしたらいいか、幸せになるためにはどうしたらいいのかを指し示す教え

 

という意味になります。

 

その、指し示す教えが、神であるとか霊であるとかいってるのが

 

仏教以外の教えなのですが、仏教の場合は、幸せになりたいのであれば

 

行いを正しなさい、その行いによって運命というものは決まるんですよと

 

徹底して教えられています。

 

つまり、幸せになりたかったらこういう行いをしなさい、

 

不幸になりたくないのであれば、こういう行いはしてはいけませんと

 

教えているわけなので、それはまさに、幸せになるためには

 

どうしたらいいのか指し示す教えを説いてるわけなので、宗教であると言えますね。

 

同じ宗教といっても、全然違うわけです。

 

仏教の教えは、心が変わればその瞬間から人生がガラッと変わることもある、

 

運命が変わるということになるわけです

 

なので、仮に、宗教というものを、神や霊や悪魔などを崇拝するものである、

 

そういうわけのわからないものにすがるものであると定義するのであれば、

 

仏教は宗教ではないとも言えます

 

学問は因果関係を論じるもので、結果に対して原因は何かを徹底的に

 

論じる合理的なものとして学問と呼ぶのであれば仏教は非常に学問的で

 

あると言えます

 

なぜなら、仏教は原因と結果の関係から、これを道理としてるわけなので、

 

因果関係を宇宙の真理として常に説いています。

 

よくわからないから、とりあえず手を合わせて祈って信じ込みましょうよ

 

というような理性を無視したようなものではないので、そういう意味で、

 

仏教はとても学問的であると言えます。

 

なので、仏教は学問なのか宗教なのかといっても、どういう見方をするか

 

によって分かれるので、一概にどっちとも言えないということになります。

 

 

 

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